野口父子の対話(4)

裕之氏の独自な世界を、今の私の理解の届く範囲で描くとどうなるか。裕之氏が父晴哉氏と口論し、整体協会を飛び出し、死の床にある父に再開するまでの期間、裕之氏が呻吟し格闘したものが何であったかを見届けられればそれは可能だろうが、それは簡単に出来る事とは思えない。私にとってあまりにその間の経緯が殆ど分からないからだ。

ただ唯一確からしく思えるのは、裕之氏が晴哉氏の整体法の思想や技術の総体を最大限踏まえた上で、そこで感得する多くの共感と違和感をどのように表現していけばよいかを巡っての格闘であっただろうということである。

母昭子氏が晴哉氏の整体法に、新たに付け加えるべき何らのものも存在しないと、裕之氏を突っぱねたのは、何ものかを付け加えることよりも守り伝えることこそが重要だと信じての行為であったとは思うが、裕之氏にとっては裕介氏が見事に為した様には進めない、強い余剰があったためであろうと思われる。

それを余剰ととらえるか、屋上屋を重ねるような過剰なものととらえるかは人によって異なるとは思うが、しかしその裕之氏の思考や行動の原基にあるものが晴哉氏の整体法の体系であることは確からしく思われる。

裕之氏は一瞬たりとも晴哉氏の整体法を手放したり、否定したりしていないどころか、まだ気づかれていないその世界の豊饒さを何とか言葉にしたいと苦悩していることが見て取れる。

しかも、父親としての晴哉氏を身近に感じてきた子としての直感が、父が為そうとして未だ成しえていない領域にも触手を延ばしたいとする自然な感情も脈打ってくるわけだから、いきおい裕之氏の言説がなかなか容易には私の裡に入ってこないのもある意味では当然であろう。

少なくとも私には、裕之氏の表現世界を理解していくうえで最も重要なことは、裕之氏が確かに晴哉氏の整体法から出発していること、またそこから遊離した世界を構築しようとしているのではないこと、整体法を学ぶという事は誰にとっても裕之氏と同様の共感と異和感とを伴って歩むことになるはずだ、ということです。とりわけ<気とは何か>、<整うとはどういう状態か>、<触れるとはどういうことか>、<経過するという時間をどうとらえるか>、<何のための整体操法か>などの整体法における基本的な問いにどのように対峙するべきか、についてはそういえるのではないか。