野口父子の対話(5)

以前にも触れたことがある「独鬼」創刊号の、裕之氏の「形見」(月刊全生にも再掲されている)というしみじみとした美しい文章がある。裕之氏が亡き父の書斎を整理していく中、そこに見出したのは愛娘を失った父親の慟哭ともいえる文章だった。そこには裕之氏が反撥してきた偉大な整体指導者としての雄々しい父とは全く趣の異なる<嫋々(じょうじょう)とした>慈愛に満ちた父親の後ろ姿が明瞭に感得できる。

その時裕之氏の胸中に去来した想いは、私たちにも容易に想像出来るような気がする。

雄々しく力強い言説や振る舞いの裡に、極めて人間的な弱さを孕んだ底知れぬ奥行きの広さや深さを実感したとき、整体法という世界の限りない可能性を同時に確信した瞬間だったに違いない。

 

「季刊独鬼」や「白誌」に記載された裕之氏の文章には、そうした父の遺した壮大な体系を自分の立ち位置から再編、再構成したいという強い決意が感じられる。

もちろん好事家に過ぎない私には、晴哉氏や裕之氏の言説の持つ時間性や空間性に近寄り手を届かせることなど到底叶わないことは充分承知のうえで、しかし少なくとも私自身の整体法の理解を一歩でも前に進めることが出来れば、そんな愉しいことはないと思える。