野口父子の対話(13)

裕之氏が父親の晴哉氏の生き様やその言葉から学んだことや、そこからわれわれに伝えようとしていることがどのようなものであるかを、『白誌 掌編/草編』に添って以下に引用し記録しておきたい。( )内は引用者による。

 

〇親父の整体の技は、・・・とにかく群を抜いて圧倒的に神業だった。なぜ神業かと言ったら、彼しかできないから。他の弟子や息子の我々には、真似事はできても全くあのようにはできない。・・・(ヨーロッパ講習会終了後にたまたま出会ったサリー姿の老婆の存在感に圧倒され衝撃を受けた後、さまざま考えて気づいたことは、明治生まれの父親の身体と、昭和以降に生まれたわれわれの身体とでは、その成り立ちがまるで異なっているのではないか、ということだった。)・・・僕の親父と僕らの体が違うから、身体をどう扱ったら快感になるか、気持ち良いか、どう自分の身体を扱うべきかの価値基準の全てが違ってくる。・・・僕らは実のところ、親父の身体と共有される身体は全く持ち合わせていない。・・・親父の言っている<力>と、僕らが言っている「力」というのは、全くズレていて互いに分かり合えません・・

そして裕之氏が至りついた場所が<内観的身体>であった。

 

僕は・・・あの(インド人の)婆さんの出来事以来、日本人が失った身体は確実に客観視された身体の世界ではない、とこう確信した。我々が失った身体は何かと言ったら、「私自身が私の体をそう感じている」というところの身体なんです。これを僕は<内観的身体>と呼ぶようになった。

このもう一つの身体、客観的身体とは異なる「感覚経験としての身体」とはどのようなものなのか。

裕之氏はそれを実習のなかで次のように説明している。

わたしたちの顔を見るときに、鏡に映った顔を見るように外側から見るというのが普通だが、そうではなく視点を後頭部の側から顔の表面の裏側に辿り着くように移動させていくと、そこに<容積空間>があることを感覚できる。

今度はその逆方向に、顔の表面外側から後頭部に向かって視点を移動させてみると、先に観た<容積空間>と似た空間を感覚できるのだが、両者の<容積空間>はまるで違った空間であることを実感する。

いずれにしても、この私たちが身体の内部に意識を集注したときに得られたこの<容積空間>のことを内観的身体と裕之氏は述べている。

そしてこの客観的身体とは異なるもう一つの身体である容積空間を持った身体である<内観的身体>にどのような原理や法則性が存在しているかを追求してきたのが裕之氏の三十数年間の身体教育研究所の主たるテーマだと述べているわけである。

さて、このようにして裕之氏の言説を、その言葉の内実を実感できないまま記述しようとしている私は、正直に言ってだだ呆然と立ち止まってしまう、ということしか言えない。

このまま記録として先に進むことは出来ないわけではないが、無謀なことであるというのも私の実感だ。

もう少し、考え悩んでから進め方を決めていくしかない・・・

 

 

 

(つづく)