野口父子の対話(7)

裕之氏の整体思想を、現在の私の理解の及ぶ範囲で整理しておきたい。

まず晴哉氏の整体技法の世界が、晴哉氏とその技法を受ける個人との一体一の関係性の中で成立する世界であることが前提としてある。

そして父親の体現し構築したその卓越した技術と思想を学ぶとき、裕之氏自身には理解の及び難い幾つかの壁が巨大な謎として立ち現れてきた。

何よりも先ずあるのは、一体父親は目の前の人間の何を見据え、その人間のどこに触れていたのかという疑問であり、整体操法を相手のどのような着地点に導いていたのかという疑問である。

晴哉氏の操法の前と後で相手の何がどう変化し、あいてのからだに<整体>への流れを創りあげていったのか。父親の傍らで二年間、その観察をしてきた裕之氏にとって、驚きだったのは相手のからだそのものは殆ど変化していないにもかかわらず、何かが決定的に変化しているという実感をともなった事実にあった。

裕之氏はその経験をもとに、父親は相手を自分とは違った視点から見ている、それゆえに父親が触れているものも当然自分とは異なったからだに触れているに違いない。

では、父親の触れていた相手のからだとは一体どのようなものなのか。

その実体を探る模索の旅が身体教育研究としての第一命題として設定されたのだと言えると思う。

そして三十数年の研究の過程で結実してきたのが、内観身体技法という技術であり思想であると理解できる。

父親の観てきた<からだ>とは、われわれが一般に理解している物理化学的身体、あるいは生理解剖学の提示する<身体>のイメージとは明らかに異なった<身体>であるはずだ。残念なことに父親はそれを<氣の世界の身体>として、それ以上の表現を与えてはいない。

しかし裕之氏にとってそれだけの説明では父親の観た<からだ>について、充分な理解には至り得ない。

そこで裕之氏は一般に流布している客観的な身体と区分するために<内観的身体>という概念をあえて用いて、<動法>という実験的、実践的研究を重ねながら、その知見をもとにこの概念をさらに豊饒化するという作業をおこなってきたのだと思う。

そして裕之氏が到達したのは、客観的身体を整えるのではなく、それと共存している<内観的身体>を整えるという新たな境地だったと言えると思う。

われわれの意識は、その振り向けた対象に応じて、そこから意味を取り出すことが出来る。そして振り向けた意識の集注の度合いに応じてその意味はより豊饒化してくる。客観的身体に意識を向ければ客観的身体が、逆に内観的身体に意識を集注すれば内観的身体が浮上してくる。

晴哉氏が集注していたのは明らかに<内観的身体>であり、一方で我々は<客観的身体>の変化にばかり気をとられ、そこにばかり集注してしまっている。

父親が操法の場で、そうした相手を瞬時に<内観的身体>の集注へと方向転換させるために見出した技術が<呼吸の間隙>を利用するというものではなかったか。

そしてこの技術こそが父親の整体操法の本質ではなかったか、というのが裕之氏の自身の問いに対する答えだと言えるだろう。

客観的身体に向かっているわれわれの集注を、内観的身体の集注に向き変えるところに整体操法の出発点があり、たとえ操法の結果、時に客観的身体が変化することがあったとしても、それ自体は操法の目指すところのものではなく、あくまでも内観的身体そのものが整うというところにその眼目がある、というのが裕之氏の到達した世界である、と言っていいだろう。

 

裕之氏の内観的身体の世界に強く惹かれながら、きちんと理解できていないだろう自分でではありますが、もう少し先まで歩いていきたいと思っています。

 

※上記は、身体教育研究所発行「白誌(13)」(2021.5.1)を参照させていただきました。理解に誤りがあればご教示ください。