野口父子の対話(19)

 晴哉氏の整体法と裕之氏のそれとにどのような違いがあるのか。晴哉氏亡き後、整体協会を存続させるために兄弟で遮二無二尽力し、七、八年経過したころに遭遇したあの衝撃的な経験が、それら全ての尽力を無に帰させるほどの根柢的な変革を強いられることになったという。それからの三十数年は、晴哉氏が本来観ていたはずの身体、触れていたはずの身体、つまり裕之氏の言う<内観的身体>の実験的探究やその言語化に没頭する日々であった。だから私のような気楽で平凡な立ち位置から整体法を眺めてきたに過ぎない者にとってみれば、容易に理解に到達できるような世界でないことは当然であるだろう。しかし裕之氏のその三十数年の尽力による重さや密度が、「白誌」誌上に縦横に展開されているのを見るにつけ、何とかわずかにでも理解し自分のものにしたいという欲求もまた湧いてくるのは私にとって自然なことと言える。

 このブログの読者の皆様には迷惑至極なことには違いないはずだが、お付き合い下されば幸いである。

 次回からのこの父子対話シリーズでは、<調律点>などの、もう少し具体的な領域に踏み込んで、野口父子の整体法を学んでいきたいと思います。