2024年 初ブログ

 能登半島地震で始まった2024年。様々な領域で、これまでの古い価値観が根底から揺すぶられているような歳の始まりのような気がする。

 昨年のこの最後のブログから数か月、裕之氏の内観的身体について『白誌』を手掛かりに私なりに考えを巡らしてみたものの、ほとんど理解できないままでいる。だからブログに何事か書くということも出来なかった。つまり「野口父子の対話」は宙ぶらりんになったままである。

 しかし、その間にも私にとっての幾つかの課題は少しばかり鮮明になってきているようにも思える。

 その最大の課題は、《いのち》についてである。《いのち》とは何か。私たち人間の身体と心にとって、《いのち》はどのような関係にあるのか。《いのち》はどこから来て、どこへ行くのか。《いのち》とは現象なのか、実体なのか。

 晴哉氏は、《いのち》は体(身体)の裡にあるのではなく、体(身体)は《いのち》の影にすぎないという。つまり形をなしているのは全て、《いのち》のはたらきの結果であり、それを実体と感じるのは、感覚による錯覚に過ぎないとも。

 これはまさに、仏教の〈空〉の思想と言ってよいだろう。

 

 こういうことを考えることは、私の愉しみであり、ワクワク感を感じられることでもあるので、この私のブログはどうしてもそういうことに引きずられてしまう。読者の皆様にはご容赦いただけると幸いです。

 本年も、何卒よろしくご愛読くださいますようお願いいたします。