天谷保子『ありのままがいちばん。』を読む。

天谷保子氏の『ありのままがいちばん。』(WAVE出版)を読んだ。

天谷氏は、1925年生まれ。「みどり保育園」を開園、その園長となる。『いやいやえん』『ぐりとぐら』などの児童書ベストセラーの作者である中川李枝子氏は、その園の重要スタッフであった。

天谷氏は、幼少時から体調不良や様々な痛みに悩まされ、左足の麻痺で歩行も遅い状態であったが、主任保母であった中川氏を通して野口晴哉氏と出会い、その指導のもとで長年の体調不良や痛みを克服し、保育園閉園後は、野口氏の直弟子に迎えられ、以降40年間、整体指導者を生業としてきた、という。

本書の発行時点(2012.11)で著者は87歳とあるから、整体協会の委嘱整体コンサルタントとしてはこの10年ほど前に協会から独立し、お孫さんと共に駒沢に整体指導室を構えた、ということになる。

 

この書は、生き方の書である。

野口整体を通して、天谷氏自身の来し方を振り返り、自らの人生をさわやかな筆致で語っている。

この爽やかさの源には何があるのだろうか。

おそらくそれは、本書のところどころに散りばめられた野口氏のことばに宿る<清らかな風>が息づいているからだと私には思える。

気負いもなく、忖度もなく、ただその<爽やかな風>に揺られて、野口整体を学べる日々の喜びと野口氏への感謝、そして何よりも<いのち>の持つ不思議さや力強さを、さりげなく読者に語りかけ、整体の世界へ誘っているのである。

新型コロナ禍の困難さの中で、誰もが時代に翻弄され、リアルであることからますます遠ざかるよう強いられる日々の生活のなかにあっても、<いのち>はその深みからたゆまず物語を紡ぎだしてくれる。そのことの感触が、本書の基底に鳴り響く、爽やかさのもう一つの源でもあるのだろう。

清風万里・・・

 

《野口先生はその当時でもとても評判の高い方で、私もずいぶん順番を待ってからやっとみていただくことができました。

はじめてお会いしたときは、とても緊張しました。先生が怖い方というのではなく、道場があまりにも静かで空気がピンと張りつめた感じがしたからです。けれども、実際に操法していただくと、包み込むようなまなざしをしたやさしい方でした。

野口先生は私のからだをみて、「長いことつらかったでしょう。あなたの首の故障は、本当は腰からきているんですよ」とおっしゃいました。

そして、「あなたは治す力があるのだから、がんばって治して働いてください」と言ってくださいました。そのとき私は、「ああ、この方はわかってくださった」と心の底から安堵しました。》(59-60)

 

《野口先生の言葉は、私がしかたないとあきらめていた数々の辛さを一度に解放してくださいました。それからは保育園が終わった後にたびたび道場に通い、からだを整え、やがて痛みのない暮らしができるようになりました。

一度、夜中にひどく腰が痛みだしたことがありました。先生は何かあればいつでも電話しなさいと言ってくださっていましたが、さすがに申し訳なくしばらく我慢していました。それでも、どんどん痛みがひどくなるものですから、三時ごろになってついにこらえきれずに電話をかけました。

そうして、先生は電話口で私にこうおっしゃったのです。

「世の中の人が全員寝てしまっても、痛くて困った人がいる限り、私だけは起きていますよ。我慢なんかしないで何時になっても電話をかけてきなさい。」

これは私にとってとても大きな言葉でした。だれもが起きている昼間と、夜中では痛みの感じ方が違います。夜中は何倍も痛いように感じるのです。

世の中の人はみんな寝ているのに、自分だけが痛くて寝られない。だれも見ていない、だれも助けてくれない。この孤独感が痛みを大きくするのでしょう。

野口先生は病む人の心理を見抜いて、最初に言葉で救ってくださったのでした。心の問題も同じですが、まず話を聞いてもらうことが大きな救いとなるのです。》(66-67)

 

《若いころの野口先生は相当に厳しい方で、弟子たちをよくお叱りになったようです。・・・けれども、私が弟子にしていただいたとき、先生は50歳を過ぎていらっしゃってどんなときも穏やかでした。》(105-106)

 

《からだの不調とはそうして積み上げられたがれきの重なりのようなものです。がんな

どの深刻な病気も突然かかるわけではなく、小さな疲れや偏りの積み重ねでなってしまうもの。整体とは、そうした重なりを一つひとつ上から取り除いていく作業です。

私の痛みは子どものころからでしたから、さぞかしがれきがうず高く積み上がっていたことでしょう。それを野口先生は10年かかって一つひとつ外していき、ようやく最初の原因にたどり着き、私の幼少期の出来事を推測されたのでした。

野口先生は私に、「これは意欲の中断ですよ」と教えてくださいました。

人は一心にやろうと思っていたことを強引に遮断されたときに、ショック状態に陥り、からだがかたまってしまいます。そうなると、からだの動きは滞り、いろんな不具合を起こしてしまうのです。私の場合は子どもでしたから、その症状も顕著に出てしまったのでしょう。

「昔は神経がどこもかしこも立った状態で、頭もいびつな形だったはずだよ」と先生はおっしゃいました。そういえば、私の頭の前方はとんがった形になっていて、カーラーがうまくのらなかったことを思い出しました。

神経がどこもかしこも立っているのだから、あちこち痛くてあたりまえです。私は長年のつらかった原因が幼少期にあるとわかり、これまでのもろもろがすべてほどかれていくようでした。》(141-142)

 

《野口先生は「人にはそれぞれ決められた寿命がある」とおっしゃっていました。先生と弟子たち6~7人はいつも一緒に夕食を食べていましたが、そのときにいろいろな話をしてくださいました。

そうした雑談の中で、先生はご自分の寿命を私たちにお話しになったことがあります。それは先生がご逝去される何年も前のことでしたが、先生は実際にその年齢でお亡くなりになりました。

だいたいの寿命が決まっていると考えると、受け入れる以外ないのですから、事故も怖くありません。寿命ある間は死ねませんし、寿命を伸ばそうと思っても叶わないのですから、それまでからだとこころを整えて、「生きる質」を上げることが大切なのです。死をむやみに怖がらず、のびのびと、与えられた命を精一杯生ききることが人にとって最も重要な課題なのだと思います。》(168)