2023-01-01から1年間の記事一覧

野口父子の対話(21)腹部調律点(2)

前回、晴哉氏の腹部調律点の理解について取り上げたが、今回は裕之氏のそれを私なりに模索してみたい。ただし裕之氏の内観的身体について殆ど何らの体感も認識も持ち得ていない現在の私には無謀なことは承知の上で、しかし私なりに前進したいという想いだけ…

野口父子の対話(20)腹部調律点

腹部調律点について、まず、I先生から学んだ整体操法の基礎に関する本ブログの再録から引用します。 基礎を学ぶ(6)腹部調律点の観察 腹部調律点前回まで、処の異常、椎骨の異常をみてきた。つぎに問題になるのは、それらの異常が整うか否か、調節したとき…

野口父子の対話(19)

晴哉氏の整体法と裕之氏のそれとにどのような違いがあるのか。晴哉氏亡き後、整体協会を存続させるために兄弟で遮二無二尽力し、七、八年経過したころに遭遇したあの衝撃的な経験が、それら全ての尽力を無に帰させるほどの根柢的な変革を強いられることにな…

野口父子の対話(18)

裕之氏の世界を理解出来るようになるために私に欠けているものは、身体の内側に深く分け入っていくことだろう。そしてそのための前提として、いわゆる客観的身体といわれる生理的、物理的身体構造の理解もまた必要だと思える、 裕之氏の言説に照らして自分を…

野口父子の対話(17)

裕之氏の内観的身体論を、何とか自分なりにでも理解したいと考えながら、その糸口さえ見つけられないまま、時間だけが過ぎ去っていく。 「白誌」誌上に刻印された裕之氏の緻密で芳醇な言葉が指し示そうとしているものが、野口晴哉氏の整体思想についてであり…

日常 2023/04・13

桜が散り、孫の入園式も済んで、私は近隣の大学図書館の貸し出しカードを作成して、学生の殆どいない静かな書庫をゆっくり見て回った。さすがに曹洞宗系の大学だけあって、他の図書館では手にすることの出来ない仏教書が所狭しと並んでいる。貸し出しは図書…

あるがままの自然と生命(2)

森田真生氏の岡潔の<情緒>観について、もう少し『数学する身体』(新潮社)から引用してみたい。 岡潔が「情緒」という言葉を好んで使った背景にはそれなりの理由があった。心には本来、「彩りや輝きや動き」がある。ところが、「心」という言葉はあまりに…

日常 2023/02・20

月日の流れが速くて、気づけばもう二月も十日程を残すばかり。前回のブログからはや一月。 この速さの感じの源は、毎日お昼ごろにやってきて、夜九時ごろま遊んでから帰っていく三歳半になる孫との時間が大きいと思える。著しい成長・変化の只中にいる彼は、…

あるがままの自然と生命

迎春。 暮れからお正月、そして今日まで、野口整体をめぐっていろんなことを考えたり、本を読んだり、孫と遊んだり、久しぶりに帰ってきた息子と話し合ったりと、あっという間に豊かな三週間が経った。 その間に読んだ本のなかで、森田真生(まさお)氏の『…