野口父子の対話(2)

裕之氏が身体教育研究所として我々に伝えようとしていることは何だろう。私がこれまでに知り得た限りで、とは言っても極めて限られたこの研究所や裕之氏の発信した文章等の一部からのものに過ぎないが、それは<原点に回帰する>という方法にあるのではないか。

それは野口整体の原点に帰る、ということにとどまらず、日本文化そのものをも含み込んだ広大な領域についての原点復帰の思想であると言ってよいように思われる。

ところで、整体操法という晴哉氏が開拓した技術とその思想、その原点にあるものは何かという問いが、身体教育研究所三十年余りの苦闘の歴史であったと言えるだろう。

晴哉氏のいう<身体>とは何か。<治療>とは何か。操法として他者に<触れる>とはどういう状態を指す言葉なのか。<整う>とはどういう状態からどういう状態に変化することなのか・・・

もちろん裕之氏は、晴哉氏の思想や技術が天才的と呼ぶしかないものであること、そしてそれらは決して自らの手の届くところにあるものではないことを前提として、それでもなお自分なりにその原理を活かして生きていくことは可能ではないか、という想いがその三十余年を支え続けたものであることは確かなことと思われる。

 

届き得ない世界を前にどのように身を処していくのかは人によって異なるし、そこから個々人固有の人生が拓かれていくのは当然だが、裕之氏は晴哉氏の思想と技術をその原理に即して裕之氏固有の生きざまのなかで活かして生きる、という決意をしているのだと思う。

 あまりの深さと広がりや奥行きを持った世界を前にすると、その世界のごく一部だけを切り取って大仰に批判したり、自分こそはその思想・技術の真の継承者なのだと嘯いてみたりと、理解というものが持つ多様性を捨象した独善に陥ったりすることが結構多いものだが、裕之氏は徹頭徹尾自らのその前提から出発して、野口整体法の原理を保持し、後世にバトンタッチしようと悪戦苦闘する姿が、その文脈に息づいている。

 

この裕之氏の持続の志が、父親晴哉氏の息子への言葉、「君は、君にしかできないことをすればいい」というものに動機づけられていたのだろうと感じるのも、そんなに間違ってはいないだろう。

 

このテーマで、もう少し先に進めてみたいと思います。