「七の日講座」に習う(メモ5)

 私が野口整体の講義録に強い興味を抱くのは、このブログですでに何度も書いてきましたように、講義録に埋め込まれている野口氏の<息遣い>に触れられることの愉しみです。「野口整体はすごい」と私が他者に言ったところで、「どこがどの様に凄いの」と問い返されたら、ウッと詰まって、お座なりな言葉でお茶を濁すぐらいが関の山。

 いろんな野口整体論や研究書や紹介記事や賞賛の文章も、結局のところ「野口整体って凄いよ」と言っている以上の言葉にはなかなか巡り合えません。実際のところ、<野口整体の何がどの様に凄いのか>といったことが伝わってこない。もちろん私の理解力の無さが、そう感じさせるのではあるけれど、野口整体を、言い換えれば野口晴哉氏の思想や技術の中心を射抜くような言葉を私たちなりに見出すためには、野口氏の言葉に籠められた<息遣い>を感受することが伴っていることがどうしても必要であると思わざるを得ない。

それは野口氏を天才とか、天使とか言って神棚に祀り上げ、「私のような凡人とは超絶した存在なんだ」と表現することによっては見失われてしまう大事なものがあると感じる。

私の知る限り、講義録のなかの野口氏は、決して超人や天才として振舞うことは決してないし、そこには私たちと地続きの、一人の悩み多き人間が、渾身で語り続ける求道者の姿しかない。そして、そこに息づく野口氏は、旧来の生き方、考え方、つまりそれまで巷間に流布されたさまざまな人間現象についての言説を、ひとつひとつ解きほぐし、人間の身体や、その身体が奏でる芳醇な調べの質感を、なんとか言葉にしていこうと悪戦苦闘している姿が感じられる。しかもその言葉は、今目の前にいる聞き手だけでなく、時間的に長い射程を考慮した、まだ見ぬ人たちとの協同を志向してさえいると感じられる。

だから野口氏の<ことば>は、他の誰かが野口氏と同じ言葉を使ったとしても、その<肌触り>や時間性、空間性がまるで異なっていると感じてしまうのだと思う。そうした息遣い、肌触り、色彩やその濃淡を味わうためには、こうした<講義録>ほど貴重なものはないのではないか、とそう思うんです。

 

 

「七の日講座」(1958.11.07)

体癖などについていろいろお話しましたが、一応ここで、相手の体を<指で押さえる>ということが、相手の体を急速に変化させうるのだということを、実際にやって頂こうと思います。そうやって指で知っておいた方が、ハッキリわかってきます。

 

そういう意味で、今日は<救急操法点>について覚えて頂くといいと思います。

 

まず<痙攣>の問題についてですが、頭の処と太陽叢系統のもの、骨盤神経叢系統のものとか、痙攣にもいろいろあります。

まず脳の痙攣は子供に起こる特殊なもので、体質的なものですから、この痙攣は成長するとなくなってくる。これは多くの場合消化器系統の痙攣です。ただ消化器からくるのではない日射病とか、大人の癲癇、あるいは舞踏病、歯ぎしりの癖、夜尿症なども、みな脳の痙攣の種類に数えていい。

先日、癲癇だと言ってきた人のC2の狂いを治したら、それっきり3年になるが一回も痙攣を起こさない。

17歳18歳になって痙攣起こすのは癲癇だが、それ以前の子供の痙攣は癲癇としてではなく小児の痙攣の類とみていい。

小さいうちの痙攣は、消化器系の痙攣と言うよりは、日射病と同様の感覚系統のそれとみてもいい。いずれもC2を治したらそれっきり起こさなくなってしまった。

このようにC2というのは一番痙攣に関係があります。それと共に、<上頚>という整圧点をよく観察すると、これから痙攣を起こすという傾向も、痙攣したときの治し方も生じてくる。

要するに、脳の痙攣する傾向を食い止める。どういう痙攣でも、C2と<上頚>の処理さえ行えば、治めうる。精神分裂のような発作的な狂暴行為なども、脳が痙攣して頭のブレーキが外れてしまったようなもので、やはり同様に治め得る。

 

治め方は極めて簡単で、C2を押さえる。C2は棘突起の始まりのところ、このC2に並行してC1の棘突起がこうある。その並行したC1を掴まえる。痙攣の多くの場合、どっちか片側に、痙攣している脳の側にこう曲がっている。左右に曲がっている。その飛び出している方をこう押さえる。こう持ってくる。この力は前へ行っている。それで全体をこう捻る。これに対応するように左へやる。これを前と合うようにこう持ってくる。つまりC2を捻るわけです。捻るという形態を作る。こう持って、首を捻る。そうすると一瞬にして痙攣が止まってしまう。

子どもの場合はこんな大袈裟なことはしなくてもいい。子どもの痙攣は、大部分が自家中毒のような消化器系統か、日射病に似た強い外的刺激による神経系統である。で、痙攣してる、こう押さえる、あるいは内側へ手を付けて、こちら側にこう出ている、ここへ手を付ける。C2。こう持ってきて引っ張る。引っ張ってて捻る。こう上を向ける。

上記の経過のなかで気がつくのが普通。そして気がついてから、<上頚>を押さえておく。首の一番、C1の四側をこう押す。

痙攣を何度も繰り返す人には、<中頚>、C3の四側を押さえておくと繰り返さない。

この<中頚>をこう押さえて前へ持っていく。偏頭痛などはここを押さえるだけで治る。内分泌の異常によっておこる痙攣ではこのC3が特に重要です。

 

ところで、延髄に血が行かなくなると気絶してしまう。<上頚>はその延髄の血管を拡げるので、気絶した場合は<上頚>を処置すると恢復します。頭を打撲して意識不明となっても、この処置をすると恢復します。昔から「脳活起神法」と言われていますが、<上頚>を押さえてこう持ってくる。ともかく、仰向けにしてこれを押さえれば息を吹き返す。やってみればすぐにわかる。ギューッと押さえる、曲げる、動かす。

やりようは簡単ですけど、使い方は非常に複雑ですから、よく要領を覚えて、何時でもできるようにしておきます。・・・

そして、それに<尾骨>の両側を押さえておくと、繰り返す人も繰り返さなくなります。

日射病の場合も、そのやり方でよろしい。

痙攣も、太陽叢にくると大分複雑になり、分かりにくくなります。一般の病気と混同されやすい。一番わかりやすいのは心悸亢進や胃痙攣、胆石も本当は同じ太陽叢系統に入れるべきものですが、そのほかにも癇癪とか短気というのもそこに入れていいと思います。

心悸亢進と胃痙攣は同じ処置でいいです。心悸亢進は、夜中たとえば夜中に急に胸が苦しくなる、太陽神経叢の処です、そこに手を当てて臍に向けてこう押さえていく。ちょっと仰向けになってください。実際はこうは仰向けに寝れないんですが、こうやって苦しいのを我慢していて心悸亢進を起こしています。ここへ手を当てて下へこうやる。その時に首を動かさないように押さえる。

前にやった脳の痙攣の時もそうですが、この首を動かさないということが急所です。押えるときも、放す時も首を動かさない。

ギュッと首を押さえて、首を動かさないようにしてこう持ってくる。寝かさない、Ⅾ8に力が入る位置で止めてしまう。そして40秒こうやっておりますと、徐々に弛めていきますと、心悸亢進がぴったり止まります。止まった場合に、左の手を持って、こういう形にして起こす。この手をちょっと捻って寝かす、これをすると、心悸亢進の繰り返しを防ぐ要点になります。だから初めの処だけでなく、後の処置も覚えてください。

この操法の急所は、これを放す時にあります。この手をここで放してはいけない。こう持って引っ張る、なるべく相手に見えるように、真ん中に持ってきて、それからこうやる。こう置く。

まあ、痛みでも何でもそうですが、ギューっと押さえて、押さえている時は痛みが止まるが、放すとまた痛くなるということがよくありますが、ギューっと押さえていって、押さえるこれをこう持ってくるようにしながらこれを放す。というように絶えず別個の刺激が次々と加えてる間に、こっちの刺激をしたものを外していく。

そういう順序で行なう必要がある。

こう持ってきて、寝かす。寝かしたときに、これを引っ張って頑張る。それからこれを下へ引っ張っていくようにこう持ってくる。そして放す。

息を吐くとき、息を吐くときに放す、これがすべての救急操法において、同じ症状を繰り返さないで終わりを告げるやり方の急所です。これをやり損なうと、胃痙攣なども、もっと激しくなる。

胃痙攣の場合は、普通はD6に手を当てる。そして太陽叢を思いっきり押さえる。ただ、起きる高さがD8までやってはいけない。D6が効かないから、L4、L5に行く位置でちょっと不安定な位置にしてこうやる。安定した位置というのは、相手が頑張ってしまう。相手はこうやって頑張っていますから、これをこういうように押していかないと、こういう位置にならない。もうここまでくれば治ったも同様で、こう押す。で、これをギューッと力を入れてから、これをこうギュッとやってから、こう押さえてこれをこう持ってきて、二番の左、これをこう持ってくる。それで背中に当てている方の手を放す。

以前山口の講習会の最中に胆石の激痛をおこした人がいた。それは石によるというよりは太陽叢系統の痙攣というべきもので、ヒステリーの化け物みたいなものだった。だから、普通の胆石の痙攣をおさめるようにD9をギュッと刺激すると、おさまるどころか途端に痛み出して、だれも触れなくなる。私は、それを押さえて、その力がD9に来ると止める。今度は止めるとここに力が入ってくる。で、この時に、相手は痛がって非常に抵抗します。

抵抗したときに、その抵抗に沿って、そのまま戻したらいい。

抵抗に沿ったときに力が抜けますから、その時ギュッと押さえる。

つまり、抵抗は、相手の作った抵抗に沿って、こちらも力を作っていく。

相手の抵抗が強くなった時に、相手のその抵抗に沿って行く。沿っていくように見せて、違う方向にヒョッと力を加えると、痛みが止まっちまうんです。

太陽叢系の痙攣を、始めのは力の掛かっている方向を上手に変えちまう。これは調律点からいえばD2,D9。腰椎を弄ると再発する。ですからこの手の使い方が大事ですから、力を四番に落としちまう。で痙攣の場合に一番必要なのはそういうような、力を引っ張ったり押したり放したりするということが、相手の呼吸に乗って行われていくこと。

脳の痙攣にしても太陽叢の痙攣にしても、痙攣というもの自体は瞬間的な、力の集中しちゃう状態なんです。それを散らせばいい。だから相手の作っている形を崩すとか、相手の考えているものをちょっとどけさえすればいい。だから上手になると触って抑えないうちに止められる。

今日は頭の脳の痙攣の場合と、太陽叢の痙攣の場合の二つについて覚えて頂きます。

 

もっと覚えられますか。もっと覚えられるのであれば、骨盤神経叢の痙攣についても説明しましょう。

同じ痙攣と言っても、骨盤神経叢の痙攣となると甚だ複雑になる。

骨盤神経叢というのは臍から下のこの骨盤の中にある臓器を支配している神経で、ここの痙攣というものはいろんなものがある。子宮痙攣や膣の痙攣といった簡単なもの、あるいは卵巣が動いたり腎臓が動いたりするものから腸が動いたりする痙攣。

その中で腸捻転や虫様突起の痛み。それらの中には虫様突起炎の症状として痛みのある場合と、太陽叢、骨盤神経叢の痙攣として痛む場合との二通りがあるんです。

だからまずそのどちらの痛みであるかを見分けなくちゃならない。

下痢でもそうなんです。よく大便がいろんな色のがあるでしょ。あれは痙攣の後なんですがネ。自分で意識しなくとも痙攣することがある。ときどき悲しくなるとか妙に陰気になるとか、ときどきくやしくてイライラする。それはここが痙攣してるんだけど、自分には痙攣と思わない。こういう痙攣の化物は背骨をこう通ってくるとカタレプシーといって背骨が硬直しちゃう。あるいは恋愛なんていうようなものに化けたり、これがここで止まったものが太陽叢の痙攣で、これも痙攣の元は多くは腹部第四にある。

非常に複雑ですが、その痙攣の現れ方は非常に単純なんです。

どうも面白いのがありましてね、先月の終わりでしたが、結婚したひとが最初の晩にどうしても二人で離れられなくなっちゃった。で一回みてくれと言う。離れられなきゃ何も無理に他人が離す必要はない。それが生理的に離れられないとか妙なことを言って、迎えに来て行って見ましたが、やはり骨盤神経叢の痙攣でした。腸骨がこう上がって狭まってるんです。それが全部の特徴です。

それから子宮痙攣とか盲腸炎のように見えるとか、あるいは腸捻転と同じ状態になるとかいろんなのがありますが、腸骨がこう狭まっちまってるとかいうことにおいては共通してる。

去年ですか腸捻転を起こして来た子供がおりましたが、見るとやっぱり腸骨が上がってる。腸骨が上がってる腸捻転なら、切るとか何とか騒がないでもいいと思ってやったらそのまま治りましたが、まあそういうのがちょいちょいありますけれども、盲腸炎のように見える場合でも、まあどんな場合でもいいです。腸骨櫛が上がってL2より上、あるいはL2あたりにあって、どうしても這入らないという場合で激痛があるならば、これは骨盤神経叢の痙攣とみていい。

そして腸骨をはがす位置にもっていって、高い方をつかまえてギュッと下へ下げる。でこれを逆の方向に力を加える。こう痙攣し痛んでくる。それより早い力を加える。分娩の時の子嵌あれも大部分はこれなんです。でもそういう場合には経験があって度胸が出来てからでないとやり損なう。けれども普通簡単なもので練習しとけばいいわけです。

正式な腸捻転の場合にはずっと後ろにいる、あべこべに。ところが子宮痙攣というのがあります。あれもなかなか烈しい痛みでひどいんですが、やっぱしこれをこう持ってくると止まってしまうんです。これ、時に下り物や出血がどっとあることがある。そうとう烈しいものです。だからこれも一応これでいいでしょう。

骨盤神経叢内の痙攣はこれ。現実にはこうやれるようにする前の準備が要る。いきなりこうやったって難しいんです。こうやって痛むというのを皆こう屈むんだから、かがんでいるのをこう持ってきたら出来やしない。

胃痙攣の中にも、喘息のようなものの中にも、しばしば骨盤神経叢の痙攣があります。

・・・

痙攣類は、極めて急速に力が或る部分に集中するという点で皆共通している。力がふっと集まるその速度をどこで抜くか。こう集中しているものをどこでやわらげ分散できるかということがその救急操法の目的で、ここでの実習は外部から加えるショックでそれを十分変えうるんだということを経験し学ぶことが目的です。

ですからその実験を行う場合、力の角度、相手の力の集まる角度と集まる速度を変えるんだという事を念頭に置いて処置する。

痛みを止めるってことを余りに考えすぎると却ってまごまごしちまう。力の方向を変える。ただ、この相手の力の速度というのが分からない。ギューッと集まってくるこの速度とか、その速度をもう一つ超える速度を使う、ということが分かり使えれば、痙攣の処置は訳ないんです。

ところが相手の力と競争してしまう。そうならないためには、痙攣に弛みを作っていかなくてはならない。

そこでこう触る角度、触る形というのは、まあ大体がフッと集中する傾向に沿って行く。それに沿ってけばいいんです。そして手を当てて目的地へピタっと当たったならば、ちょっと逆らう。それに対して抵抗してもう一回力が出る。出ようとしたところをそれに沿うんです。逆らっていてその逆らう傾向に逆らう速度が出てきた時にフッとそれに沿うんです。

沿っていてギュッとそれを抑えてしまうと、今度はこっちに引こうと押そうともう自由になる。

こうやる、それに逆らおうとする。スッと逆らわせると、もう止められた分だけ勢いになって、フッとこう痛んでくる。この速度よりももう一つ逆らう為に余分の痛みが出てくる。余分の速度が出てくる。それが余分の痛みになるか痛みが止まってしまう事になるかのどっちかです。やり損なえば痛くなる。もっと痛くなってもそれは成功なのです。ただ集中を焦点だけ作っておけば痛くならないで済む。

 

まあ簡単なのは太陽叢のこれは、腹部第四に球が出ますから、それを下に下げればいい。・・・

 

以上