野口整体を愉しむ(再録121)野口整体を学ぶことの愉しさ

野口整体を学ぶことの愉しさ

野口整体を学ぶことが楽しくて仕方がない。理由はよくわからないが、講習会や研究会、あるいは仲間内の勉強会に参加することがとにかく楽しいのだ。もちろん毎月送られてくる「月刊全生」を寝転がってじっくり読み進めることも同様に楽しい。
何十年も前に知ったこの野口整体について、いまだにいろいろな想いに浸り、このように野口整体を語りたいのは、その楽しさが少しも減衰しないどころか、ますます勢いを増しているようにさえ日々感じるからなのだろう。
整体操法の実技を学ぶ場で感じる、あの何とも言えない静寂と緊張感は、こうした楽しみに限りない奥行きや深みを与えてくれる。
この独特の学びの時空は、日常の仕事場での時間の流れとは、まるで違った自然時間あるいは生理的身体時間といったものであり、それに向き合える稀有な時間と感じられる。
より早くより効率的にと、せわしなく追い立てられる職場空間での時間の流れとは異なった、からだへの心地よい緊張感をともなった、至福がそこにはあった。

指導者の導きに添いながら、みずからのからだ(いのち)で、礼をもって他者のからだ(いのち)に触れていく。
触れるという行為は、いわば対象を前にして立ち止まる行為である。
より早くより遠くへと急き立てられる日常では、視覚や聴覚はフルに動員するけれども、触覚に意識を集中するというようなことはほとんどない。
触れ、触れられる学びの時空の中で、からだはかたくなに生理的な自然身体として、自らの固有の時間のなかで、自然とのやりとりに余念がない。
このたくましく揺らぎ続けるわれわれのからだの前に立ち止まり、心を込めて触れ、この揺らぎや気の流れを感じとろうとすることに言いようのない喜びを感じずにはいられないのだ。