野口整体を愉しむ(再録55)整体操法の基礎を学ぶⅡ(47)尾骨操法

整体操法の基礎を学ぶⅡ(47)尾骨操法

野口整体の知というのは、知の為の知ではなく、人間として生きていくために必要とされる応用的な知である。野口氏が、気とは何かという問いに対して、「それは気としか言いようがないのです」という答え方をしていることにも窺われるように、それがよくわからなくても、一応それに名称を与えることで、それを生きるための知恵として活用していこうとする態度が表現されていると思う。
触れるという新しい切り口から抽出された整体的知恵は、必ずしも学問的な科学的ファクトを伴なっていないかも知れないけれど、多くの経験によって確認された知恵として、また生命と名付けられたもののに内臓されているまだ見ぬ知恵の片鱗をそこに見い出すことが必ず出来るはずである。
生命も身体も、あるいはこころも、その実態はまだまだ未知の領域を限りなく内蔵しているものである限り、わからないものをわからないものとして対処していくほかはないのであるから、世に多くある経験知のなかから、野口整体を選択し、その知恵を自らに取り入れて生きることが、それほど非科学的なことではないはずである。
いうまでもなく科学は日々進歩し、膨大な知識を着実に積み上げ、客観的な検証を繰り返して真理を目指している。われわれはその恩恵にあずかりながら日々の生活をより安全に生きることが出来ている。しかし、そのことと、科学的であることにのみ拘泥し、それを絶対化して、人類が長い間に培い蓄積してきた多くの経験知を捨て去ることが、真に科学的な態度と言えるかどうかは疑問である。
わからないことは誰にとってもわからないものであること、しかし様々な切り口からそのわからなさを突破しようとした非科学とよばれる多くの知恵もまた、われわれには必要なものだということを、野口氏の知見が教えてくれているように私は思う。
では、記録を続けます。
 
I先生「今日は前回に引き続き肋骨挙上操法について説明します。とくに肋骨の横の開きについて尾骨操法の練習をしながら説明したいと思います。」

尾骨操法
肋骨挙上のなかで大きな問題は、肋骨が横に拡がることが不十分なために、その結果として肋骨がだんだん下がってくるということである。そこで肋骨を横に広げる方法を説明します。
肋骨を拡げるには、尾骨を押さえればいい。肋骨の狭い人や、下垂している人に、尾骨の操法をすると拡がって上がってくる。これは幼児期に行うと効果が高い。
尾骨は普通四つある。子どもは三つです。野蛮な大人の人の中に五つある人もある。余談だが、こういう人は感覚が非常にいいので、こちらが何か説明しようとすると、その説明にくたびれて厭きてしまう。勘がいいから、言おうとしていることが先に判ってしまい、説明が終わるのを待ちきれない。こういう人には結論だけ言って、あとは自分で考えるようにと言えばそれで判るのです。上下の人だと自分の言っていることが判らないまま、グダグダと事の始めから話を並べ立てる。

さて、この尾骨の付け根とその一つ上の部分に硬結があると、肋骨がだんだん委縮してくる。面白いことに、尾骨を押すと胃下垂が上がってくる。尾骨と胃下垂の関係など、どの本を見たって書いていな。ただ、よく観察していると、胃下垂の人はみな肋骨が下がっている。この場合、胃が下がっているというよりは上体全部が下がっている。だから胃下垂の人は結核にかかりやすい素質があると考えることができ。体癖で言えば、六種と二種に一番多い。

尾骨の操法をすると、胸が拡がってくる。この操法は美容的に胸を大きくする、下がった胸が上がるということから女性には評判がいい。
尾骨を押さえていると自然に深い呼吸が出てくる。せかせか、ソワソワしていた人が落ち着いてくる。尾骨は大体二十七歳を越えると出揃うが、そうなってからは余り効果がない。それでも目に見えた効果はなくても多少は胸は拡がってくる。
いまわれわれは、眠りを深くするという目的で肋骨挙上を行なうので、肋骨が拡がろうが縮まろうが構わないで、着手の処として尾骨操法を行ないます。
尾骨を刺戟する方法としては、たとえばてんかんを調節する場合は、その先っぽを焼いた塩で温めると効果が出る。頭に影響するからです。
肋骨の拡張には、尾骨の中の第一椎部分を対象にするのが有効。最初にここに愉気をします。それと同時に、腰椎の一番。これも肋骨拡張に関連するところです。ただ、腰椎一番に異常があると、尾骨を刺戟しても胸郭が拡がってこない。そこで腰椎一番を調整しますと、尾骨だけでは変化しなかった人も拡がってきます。尾骨だけで変化する人にはそれは必要ありません。

練習
尾骨の先は、頭と関連していて、ここを打撲すると脳出血を起こして半身不随になったり、気絶してしまうということがあります。
押す場合に、肋骨はその根元を押さえますが、尾骨は第一椎の上と下を押さえます。伏臥の相手にまたがって、押さえる。そしてその押さえたものを内側に寄せるように押さえる。押して真下に押さえる。尾骨の第一椎と第二椎の間の細くなっている処に指を入れて、寄せます。寄せてからちょっと上に持ち上げて、そのあと真下に押さえます。
腰椎一番は棘突起を直接押さえます。異常がある場合はそこに多少圧痛があります。圧痛を感じられるのはまだいいほうで、悪くなったものは飛び出しているだけで、それを感じられない。飛び出した棘突起を少しずつ揺すぶって愉気していると、そのうちに圧痛が出てくる。こを「圧痛の呼び起こし」と言います。
圧痛が出ないうちは尾骨操法の効果がない。腰椎一番に可動性が出てくれば、圧痛を感じるようになるので、そうしたらもう一回尾骨の同じ処を同じように押さえる。そうすると尾骨に変化が出てくる。
圧痛の呼び起こしをやって、尾骨を刺戟すると、その効果がまず肋骨の脇に現われる。肋骨が横に拡がってくるだけでなく、続いて前にも拡がってくる。三か月ほどすると、拡がったのが明瞭に判るようになる。
先ずこれを練習します。

次に、仰臥の相手の胸骨沿いに手でソーっと息を吐かせるように押さえていく。いっぱい吐くだけ吐かせると、こんどは一杯に吸ってくるから、それに乗って肋骨の五枚目まで押さえていく。相手の呼吸の速さで押さえていく。息を吐き切るまで、なお少し押さえる。そして吐き切ったところで弛める。
肋骨の五枚目から下を押す場合は、吐き切らないうちに放す。そして吸い切らないうちにまた押さえる。こちらの手で、相手の呼吸を押したり弛めたりして、相手がそれについて来るように誘導していく。そのあと肋骨を左右に押して、いっぱいに吐かせてしまう。最後に肋骨五枚目と六枚目の間を、相手が吸い切った処でジーっと押さえて、息を吐き切るまで吐かせ、吐かせして、吐き切らしたところで押さえて戻す。
その時の押さえ方は、押さえた処を持ち上げるように、拡げるようにやる。
これで相手がうまく呼吸に乗ってこない人には、大胸筋をに三度刺戟してからもう一度やる。相手の肩側の肋骨が下がっている時は、押さえる時に指が互い違いになってしまってやりにくいので、予め下がっている方の肘を曲げておくといい。

いまやったことは、脇の下の操法や、肩甲骨の操法、上胸部の操法の事は省いて説明しましたが、必要な場合は当然その操法を入れていく必要があります。
押されているのに平然とお腹で呼吸していて、胸にまで呼吸が乗ってこないで伸び縮みしない場合は、上胸部を押さえると、胸で呼吸するようになります。
また、筋肉が硬くて胸で呼吸できない人には、脇の下をつまむといい。上手になれば、ほかの操法をやった後で、下がった側の四番、五番の処だけ押さえて、呼吸を誘導するだけでいい。相手に、呼吸を胸に吸わせておいて押さえる。吐かせておいて押さえる。また吐かせておいて押さえる。そうしながら相手が余分に吐く方に誘導していく。これは慣れるとそう面倒でなく出来るようになる。

次に、これは高等技術なのですが、赤ん坊のいろんな故障を治す場合に、普通はお腹を押さえ、後頭部を押さえて、息を吐かせる、吸わせるをやりますね。そしてお腹で吸ってくるように誘導できれば回復してきます。しかしこれだけでは呼吸が乗ってこない赤ちゃんの場合があります。そのときに、肋骨の五枚目と六枚目をソーっと持ち上げて愉気をします。ここで何回か息を吐かせます。そうすると、ずっと良くなってきます。これは技術的には難しいのですが、要点は、胸の中の余分な息を吐かせてしまう、吐かせてしまった後に、胸をちょっと押さえてやる。そうすると下腹で呼吸するようになります。これは、こうすればこうなる、という問題ではなくて、そういう方法で呼吸を誘導していく、そうやって赤ちゃんを育てていく、そういうことが眼目です。
これは見た目には簡単そうに見える。実は、高等技術というのは、技術としてみれば一番易しいのです。誰にも見えないように技術を施して、誰にも見えないように治してしまう。それに比べて中等の技術は一番派手で、呼吸の間隙ということが判らない人は別としても、間隙が判ると、ちょっと押さえただけで変化を起こしてしまう。一番華やかなのです。高等技術にはそういう華やかさはない。その逆に急所を外すとか、呼吸の間隙を意図的に少し外して、息を吸っているところを押さえるとか、吐いてしまった後にショックをするということをします。こういう「ずらす」というところに本式のプロの操法があるといえるのですが、アマチュアの皆さんはその急所をピタッと押さえるということが大事です。しかしこのピタッと押さえるということは、あまりやり過ぎないということが前提になっています。プロは何度も操法して繰り返さざるを得ないために、あえて急所を外すのです。
効果に影響が出ない範囲で外す。どうしても外せないという処に対しては、呼吸で外す。どこかで外すようにして操法を弱めていく。弱めていくのだけれども、弱めないでやった時よりも効果が出るようにする、というのが高等技術なのです。
だから、他人が外から見ていると、技術にさえ見えないということになる。精神療法でも同じで、催眠術によって暗示を与えるなどというのは、初等技術で、相手がいつ暗示を与えられたか判らないうちに、なにかくだらないお喋りをしていたら、そのまま「そう思い込む」というふうに出来るのが高等技術なのです。
相手には何気なくやっているように見えても、やりながら急所を見ているのです。何気なく触っていくうちに、何気なく喋っているうちに、変化していく。相手はどうしてそうなったか判らない。しかしやる方はその変化を見て、その道筋を知っているのです。変化の一つ先、一つ先を読んでいる。押さえながらその変化を読み、読みながら調節する。これが高等技術で、高等技術ができるようになると、余り骨がおれなくなる。
そうなるには、華やかな呼吸の間隙を狙うとか、急所をすこしも外さずにピタッとおさえるということをやった上でないと出来ない。今練習している中等の技術は、その前提となるものです。しかし、プロの操法ではそれをそのまま使うわけではない。
今日やった練習では両手を使って胸を押さえているが、実際の操法では、片手で下がっている方をちょっと押さえる、それだけなんです。それだけで今日やったやり方よりも効果をあげられるところに技術がいるのです。
前回、下がっている方の肩甲骨をはがし、肋骨挙上点を押さえ、ここを揺すぶって肋間筋を弛めると、肋骨が上がるということを説明しましたが、肋骨挙上点の一点でやるには、こういう呼吸をマスターする、その結果、眠りを深くするという目標で息を吐かせていく。それが正確に出来るようになって効果が上がるようになる。
尾骨も異常があればやる。なければやらない。しかし一応は調べておく必要がある。いくらやってもうまくいかないから尾骨を調べたというのでは本当でない。やる前にちょっと調べて、これならこのままいく。これなら腰椎一番を刺戟しなくてはいけない。というように、順序を作りながらやっていく。

いまやっている学習の仕方は、素人の人には評判が悪い。何々にはこことここを押さえよ、何々病はここを押さえれば治る、というような教え方がこれまで求められてきたその方が判りやすいからだが、そうやって覚えた人は、何々病といった名前がついていない場合になると、まごついて慌ててしまう。名前がつくと、それしかできない。
その時その時の変化に臨んで、相手に応じた操法を作り出すことが必要ばのだが、実際の病人を目の前にして、頭の中のノートをめくって、記憶を読み返し、これは腸チフスにしては呼吸が多い、肺炎にしては脈がおかしいと、頭の中で考えても判らなくて、肺炎の操法をやってみる。おっかなびっくりやってみる。「効果がない、ああ違った」、腸チフス操法をしてみる、ひどいのになると、レントゲンの影を見たり、心電図を見たりして、体を見ないでいろいろ思い浮かべている。
病気なんて言うものは、体力によって重い軽いがある。体力に対して、こんなに癌が拡がっていたって、体力があれば何でもない。ほんの少しだって体力がなければ拡がる可能性がある。だから拡がる可能性のあるものは重い。拡がっても何でもなく生きているのは軽い。拡がっても普通と同じに暮らしていれば軽い。わずかでも動けなくなっているものは重い。
それを小さいから軽い、拡がっているから重い、ということだけ知って見ていく。頭の中にあった事を思い返しては、これなら当てはまる、これは当てはまらない、さてどっちだろう。中間をやってみようとかなんとか、そんなゴタゴタやっているのは、その時のそのように技術を組み立てることが出来ないからなんです。端的に言えば、体を見ていない。相手の体を見ないで、自分の頭の中を見て探している。それでは全てにピタッといくわけがない。

この研究会での理想は、何も知らなくてもいいから、その時体に合う操法を作り出せるようになるということで、そうならなければ技術を教えたことにならないと思いますので、一部には評判の良くないことを承知の上で、こういう方法をとっているわけです。
これをマスターすると、自分の知らない異常があっても、体さえよく見れば判る、操法が出来る。その体から操法を作り出すことが出来る。そういうことが出来ないのでは、整体指導の技術が無いと言っていい。教えられたことを教えられた通りにしか出来ないのでは、単なる記憶の樽でしかない。
中等技術のあいだは、実用の為ではなく、体に技術をつけるためにやっているので難しく思えるが、そのうちにだんだん易しく感じられるようになってきます。
マチュアというのは、効果が出るあいだは嬉しいのです。一生懸命になる。効かなくなると急に興味を失くしてしまう。その逆に、プロは効かなくなった時に進歩する。
だから中等を学んでいる皆さんも、プロのつもりでないと困ります。必要とあらば相手の体から技術を作り出せる、その為の基本をやっているのですから、難しいけれども、そういう実力をつけるという意味で、練習をもう少し熱心にやってもらいたい。
ただし、練習は一生懸命になり過ぎてもいけない。相手の体を壊してしまう。うわの空でやるくらいで、興味を持ってやり過ぎない。
練習会ではお互いに判っているからいいが、まったく受け身を知らない素人にに対して練習するときは、練習の時の十分の一ぐらいのつもり、こころの集注も同じくらいでやれば、間違いなく効果は上げられます。
ときどき思い違いをしている人があって、いざ熱が出たちか、病気になったとか、どこかおかしくなったというと、一生懸命にやっている人がいるが、そういう状態の時は相手の体に自然に治るような働きが起こっている時なのだから、そういう時はうわの空でやっていれば良くなっていく。
練習の時は、悪くないのに悪いと仮定してやっているのですから、そういう時にこそ、むしろ心を込めてやる。一生懸命にやらなくてはならない。
相手に何か変化が起きている時は、大抵いい加減なことをやっていれば良くなるのです。どうか、実際の真剣勝負の時には気楽にやれるように、ここでの練習を一生懸命して下さい。このことを間違えないように。今日はここまでとします。