野口整体を愉しむ(再録109)整体操法の制定過程

整体操法の制定過程

昭和18年(1943)12月 
   整体操法制定委員会設立
昭和19年(1944)7月
   毎夜の論議を経て整体操法の基本形を制定。同月の東京治療師会役員会にて発表。全員一致の支持を得て、東京治療師会、手技療術の標準形を決定。その後、様々な角度から検討が加えられ、一年後大改訂をがなされた。その後も、連日多数の会員の協力によ実施、従来の殻を破った、手技療術の範をなすものへと、整体操法が練り上げられた。
第一回整体操法制定委員会は、野口晴哉(精神療法)を委員長に、以下の十三名によって構成。
梶間良太郎(脊髄反射療法)、山田信一(オステオパシー)、松本茂(カイロプラクティック)、佐々木光堂(スポンデラセラピー)、松野恵造(血液循環療法)、林芳樹(健体術)、伊藤緑光(カイロプラクティック)、宮廻清二(指圧抹消療法)柴田和通(手足根本療法)、山下恵也(カイロプラクティック)、小川平五郎(オステオパシー)野中豪策(アソカ療法)、山下祐利(紅療法)、美済津貴也(圧迫療法)。外に三、四名の臨時委員が加わり、手技療術の模範たるべく、実験を繰り返し、それを多くの指導者が実際に試みる過程で、効果の高かったものを残して出来上がった。これが「整体操法の<処(ところ)>」であり新たな手技療術の規範である。