野口整体を愉しむ(再録103)「整体操法高等講座」を読む(19)子供の操法(7)

整体操法高等講座」を読む(19)子供の操法(7)

私の引用癖は相変わらずで、今日は内田樹氏の昨日(2019.4.15)のブログをそのまま引用させていただきます。私のブログは、自分自身の備忘録の一面もありますので、読者の皆さまにはお許しをいただくこととして・・・
いつも内田氏のことばは、私が表現したくて、もやもやしたまま整理がつかない事柄にいつも明確な輪郭を与えてくれ、スカッとした爽快感を感じさせてくれる数少ない表現者の一人です。「野口整体とどういう関係があるの」と思われる方にも、是非お読みいただければと思います。(引用文は、私がゴチックにしました。)

内田樹の研究室
『善く死ぬための身体論』(集英社新書 著者:内田樹×成瀬雅春)のまえがき

みなさん、こんにちは。内田樹です。
 今回は成瀬雅春先生との対談本です。成瀬先生とは以前『身体で考える』(マキノ出版、2011年)という対談本を出しましたので、これが二冊目となります。
 成瀬先生とはじめてお会いしたのは、1990年代の初め頃ですから、もう四半世紀ほど前になります。成瀬先生のことは、先生の下でヨーガの修業をされていた合気道自由が丘道場の笹本猛先輩からよくうかがっておりましたし、著作も何冊か拝読しておりました。その成瀬先生が西宮の教会で倍音声明のワークショップをやるというのを知って、「おお、これは行かねば」と神戸女学院大学合気道部の学生たちを引き連れて行ったのが先生とお会いした最初です。
 小さな教会で、参加者もごく少人数でしたけれど、はじめてお会いする成瀬先生はそんなこと気にする様子もなく、機嫌よく倍音声明のやり方を僕たちに教えて、「じゃ、始めましょう」とセッションを進めました。僕の中では成瀬先生は「すごくミステリアスな、近寄りがたい人」という先入観があったので、こんなに間近で、こんなに親密な環境でやりとりできるとは思っていませんでした。それですっかり安心して、その半年くらいあとに大阪であった倍音声明のセッションにも参加しました。
 でも、その後、阪神の震災があって、僕も被災して、生活再建に手間取り、病気にもなって、しばらく成瀬先生との出会いも途絶えていました。先生との交流が再開したのは、震災から数年経って、五反田にある成瀬先生のヨーガ教室で、僕の合気道の師匠である多田宏先生(合気会師範、合気道九段)と成瀬先生との対談を聴きに行ったときです。たいへん面白い対談でした。
 帰途、五反田駅まで歩く道筋で、多田先生に「成瀬先生って、ほんとうに空中に浮くんでしょうか?」と伺ってみたら、多田先生がにっこり笑って「本人が『浮く』と言っているんだから、そりゃ浮くんだろう」とお答えになったのが僕の腹にずしんと応えました。なるほど。
 武道家は懐疑的であってはならない。
 そんな命題が成立するのかどうかわかりませんけれど、何を見ても、何を聴いても、疑いのまなざしを向けて、「そんなこと、人間にできるはずがないじゃないか」というふうに人間の可能性を低めに査定する人間が武道に向いていないことはたしかです。
 でも、実際にそのような「合理的」な人は武道家の中にもいます。そういう人は筋肉の力とか、動きの速度とか、関節の柔らかさというような、数値的に表示できる可算的な身体能力を選択的に開発しようとする。でも、実際に稽古をしているときに僕たちが動員している身体能力のうち、数値的に表示できるものはたぶん1%にも満たないんじゃないかと思います。していることのほとんどは、中枢的な統御を離れて、自律的に「そうなっている」。いつ、どこに立つのか、どの動線を選択するのか、目付けはどこに置くのか、手足をどう捌くのか、指をどう曲げるのか・・・などなど。ただ一つの動作を行うにしても、かかわる変数が多すぎて、そのすべてを中枢的に統御することなんか不可能です。身体が勝手に動いている。身体が自律的にその時々の最適解を選んでくれる。淡々と稽古を積んでゆくうちに、そういう「賢い身体」がだんだん出来上がってきます。それは「主体」が計画し、主導しているプロセスではありません。
 武道の稽古のおいては、「こういう能力を選択的に開発しよう」ということができません。だって、「どういう能力」が自分の中に潜在しているかなんて僕自身が知らないから。あることができるようになった後に、「なんと、こんなことができるようになった」と本人もびっくりする。そういうものです。修業においては事前に「工程表」のようなものを作成することができない。自分が何をしたいのか、何ができるようになるか、予測できないんですから。
 そのどこに向かうのか分からない稽古の時に手がかりになるのはただ一つ「昔、こういうことができる人がいたらしい」という超人たちについてのエピソードです。そのような能力の「かけら」でも、もしかすると自分の中には潜在的にひそんでいるのかも知れない、修業を積んでいるうちに、思いがけなくそういう能力が部分的にではあれ発現するかも知れない、それだけが修業の手がかりになります。とにかく、僕はそういうふうに考えることにしています。
 そういう割と楽観的でオープンマインデッドな修業者と「そんなこと、人間にできるはずがない。そういうのはぜんぶ作り話だ」と切って捨てる「科学主義的」な修業者では、稽古を十年二十年と重ねてきた後に到達できるレベルが有意に変わります。これは間違いない。
 どんな異能であっても「そういうことができた人がいる」という話は受け入れる。「そういうことって、あるかも知れない」と思う。そして、どういう修業をすれば、どういう条件が整うと、「そういうこと」ができるようになるのか、その具体的なプロセスについて研究し、実践してみる。
 僕はそういうふうに考えています。
 だって、それによって失われるものなんか何もないんですから。自分の中にひそむ可能性を信じようと、信じまいと、日々の稽古そのものに割く時間と手間は変わらない。だったら、「そういうことができる人間がいる」と信じた方がわくわくするし、稽古が楽しい。
人間の潜在可能性についてのこの楽観性と開放性は武道家にとってかなりたいせつな資質ではないかと僕は思います。現に、 僕が尊敬している武道家である甲野善紀先生も光岡英稔先生も、「信じられないような身体能力の持ち主」についての逸話についてはたいへんにお詳しい。
 ちょっと話が逸れましたけれど、とにかくその時に多田先生がにっこり笑っておっしゃった一言で僕は「武道家マインドセット」がどうあるべきかについては、深く得心したのでした。
 成瀬先生が時々僕にお声がけをしてくれて、対談をするようになったのは、それからの話です。そのおかげで、対談本もこれで二冊目になったわけです。それはたぶん僕が成瀬先生が語られる「信じられないような逸話」について、「そんなことあるはずがないじゃないか」というような猜疑のまなざしを向けず、「どういう条件が整えば、そういうことが起きるのか?」という方向に踏み込んでゆくからではないかと思います。
 でも、これを「軽信」というふうには言って欲しくありません。不思議な現象に遭遇した時に、「自分の既知のうちにないものは存在しない」と眼をそむける人より、「どういう条件が整えば『こんなこと』は起きるのか?」を問う人の方がおそらく科学の発展には寄与するはずだからです。
 今回の対談は「現代人の生きる力の衰え」についての話から始まります。どうしてこんなに生命力が衰えたのか。本書では語り切れなかったので、ちょっとだけここで加筆しておきますけれど、その理由の一つはなんだか散文的な表現になりますけれど、産業構造の変化だと思います。
 もう農作物をつくった経験のある人が少なくなったということです。
 僕や成瀬先生が生まれ育った1950年代の日本には農業就業者が2000万人いました。ですから、多くの人にとって、「ものを作る」という時にまず脳裏に浮かぶのは農作物を育てることでした。種子を土に蒔いて、水や肥料をやって、太陽に照らし、病虫害から守っていると、ある日芽が出てきて、作物が得られる。人為がかかわることのできるのはこのプロセスのごく一部に過ぎません。他にあまりに多くのファクターが関与するので、どんなものが出て来るのかを正確に予測することはできません。だから「豊作」を喜び、「凶作」に涙した。
 でも、今はそんなふうにものを考える人はもう少数派です。現代人が「ものを作る」という時にまず思い浮かべるのは工場で工業製品を作る工程だからです。
 学校教育がそうです。
 僕が大学に在職していた終わりの頃には「質保証」とか「工程管理」とか「PDCAサイクルを回す」というような製造業の言葉づかいがふつうに教育活動について言われるようになりました。缶詰を作るようなつもりで教育活動が行われている。だから、規格を厳守する、効率を高める、トップダウン・マネジメントを徹底させるというようなことが1990年代から当たり前のように行われるようになりました。
 この転換によって、「子どもたちのどのような潜在可能性が、いつ、どういうかたちで開花するかは予見不能である」という農作業においては「当たり前」だったことが「非常識」になりました。「どんな結果が出るか分からないので、暖かい目で子どもたちの成長を見守る」という教師は「工程管理ができていない」無能な教師だということになった。それよりも、早い段階で、どの種子からどんな果実が得られるかを的確に予見することが教師の仕事になった。「何が生まれるかわからない種子」や「収量が少なそうな種子」や「弱い種子」は「バグ」としてはじかれる。品質と収量が予見可能な種子にだけ水と肥料をやる。例の「選択と集中」です。
 人々がそういうふうに考えるようになったのは、別に教育についてのイデオロギーが劇的に転換したというわけではありません。ごく単純にドミナントな産業が農業から工業に変わったからです。
 いずれ工業のメタファーも打ち捨てられて、ディスプレイに向かってかちゃかちゃキーボードを叩いているうちに銀行預金の残高が増えてゆくのが「生産」の一般的なイメージになり、それに即して学校教育の「当たり前」も変わってゆくはずです(たぶんその時には「創造的思考」とか「スマート化」とか「投資対効果」とかいう言葉が大学教授会で飛び交うことになるでしょう・・・、というかその頃にはもう大学教授会などというものはこの世からなくなっているでしょうけれど)。
 産業は人間が創り出したものです。機械は人間が設計したものです。でも、ご覧の通り、人間は自分が創り出したものを「ものさし」にして、それを模倣し、それに従属して人間を「改鋳」しようとする。やめろといっても、そういうことをする。人間というのはそういう生き物なんです。
 本書の中でも「機械論的な身体観を内面化させた人」についての論及がなされています。機械の動きというのは、人間の動きを単純化したものです(ヒンジ運動とかプレス運動とかは人間の自然な身体運用のうちにはありません)。でも、自分で機械を制作しておきながら、それに囲まれているうちに、機械の動きを模倣して身体を使うようになる。自分が創り出したものに支配される。マルクスが「疎外」と呼んだのはこのような事態のことです。
 別にそれはそれでいいんです。人間というのは「そういうもの」ですから。自分が創り出したものに支配されるという倒錯も一種の能力と言えばそうなんです(動物にはそんな器用な真似はできません)。
 でも、とりあえず現代人は工業製品の製造工程(というそれ自体すでにかなり時代遅れなプロセス)をモデルにして、自分の身体を使おうとしていることについては声を大にして言っておきたいと思います。中枢的に管理すること、個体を規格化すること、シンプルな「ものさし」に基づいて個体を格付けし、高い格付けを得たものに資源を傾斜配分する・・・という一連のプリンシプルに基づいて現代人は身体を使おうとしていますけれど、それはある歴史的な時期に固有の、一種の民族誌的偏見に過ぎません。そういうことを「どうしてもやりたい」という人は、お好きにされればいいと思います。でも、これは前期産業社会に最適化したプロセスですので、もうだいぶ前から使いものにならなくなっているということだけは知っておいた方がいい。
 僕たちがこの本の中で提言しているのは、とりあえずは、もう少し前の時代の、人間が工業生産のメタファーで身体をとらえる習慣がなかった時代の「身体の潜在可能性に対して楽観的であること、予見不能な資質について開放的であること」です。たぶん、このやり方の方が「次の時代」に適応する可能性は高いと思います。
 もう一つ、この本では、「潜在可能性を開花させる」という向日的なテーマの他に、「よく死ぬ」とはどういうことかという、われわれの年齢(もう古希ですからね)にふさわしいいささか重いテーマについてもかなり長い時間を割いて語っています。
 ここでの僕たちの合意点は、一言で言えば、「よく死ぬためには、生命力が高い必要がある」ということです。
 変な話ですけど、そうなんです。
 健康で長生きすると「いいこと」があると昔父親が教えてくれました。父の説によると「健康で長生きすると死ぬとき楽だから」だそうです(実際に父は長寿で、死ぬ間際までしっかりしていて、最期に家族に向かって「どうもありがとう」と言い残して永眠しました)。
 なるほど。
 僕くらいの年になると、もう死ぬことそのものは怖くないんです。やりたいことはだいたいやり尽くしたし、ライフワークとしていた仕事もほぼ片づきました。たいせつなミッションについては「あとを引き継ぎます」という次世代の後継者たちが育ってくれています。
 だから、どちらかというと、死ぬのは楽しみなんです。死んだ時に「あ、死ぬというのは、こういうことだったのか!」と長年の問いの答えを得ることができるわけですから。それを楽しみに待っているのです。
 とはいえ、死を前にして心配になることが二つあります。一つは死ぬ前に大病をして苦しい思いすること。もう一つは認知症になって、「内田センセも若い時は気の練れた人、もののわかった人だったんだけど・・・年取るとあんなになっちゃうのかな。悲しいね」と言われることです(本人はもう惚けちゃっているので、悲しくもなんともないのですが)。
 つまり、身体の健康と、頭の健康ですね。できれば、死ぬ直前まで心身ともに健康で、ある日「あ? お迎え?」と呟きつつばたりと倒れて死んでしまうというのが望み得るベストなんです。
 でも、そのためにはいろいろと生きているうちに努力しておかないといけない。
 死に至る身体の病はほとんどが遺伝子由来のものですので、コントロールできることには限界があります。お酒も飲まず、煙草も吸わず、暴飲暴食を慎み、早寝早起きしていたけれど、若死にするということはよくあります。生活習慣も遺伝子には勝てない。僕らがある程度主体的にコントロールできるのは「心の健康」だけです。これは努力のし甲斐がある。
 では、「心の健康」とは何のことでしょう。
 それは「複雑化」ということじゃないかと僕は思っています。
 僕の同級生たちはもう過半がリタイアしています。まだ自分の現場を持っている人もいますけれど、一線は退いている。でも、一線を引いて、悠々自適になると、態度に際立った変化が起こる人がいます。
 頑固になるんです。「頑固爺い」になってしまう。
 不思議ですよね。世の中の利害得失から超脱した身分になったはずなのに、そういう人ほど「言い出したら聞かない」し、「人の話を聞かない」ようになる。こちらが話しかけても、「そんなことは分かっているんだ」というような興味のなさそうな態度をとるようになる。ひどい時は人の話を遮って、「わかったわかった」とうるさそうに話を切り上げてしまう。
 たぶん本人は「世の中の些事はもうどうでもいいくらいにオレは解脱しちゃったんだ」というふうに自己正当化しているのかも知れませんけれど、僕の見るところ、違います。
 この人たちは「複雑な話」をする能力がなくなってきているんです。
 新しい変数の入力があった時に、それがうまく既知と同定できない場合、僕たちは自分の手持ちの「方程式」そのものを書き換えます。増えた変数が処理できるように、方程式の次数を上げる。話が複雑になってきた時には自分も複雑になってみせないと対応できないからです。
 これが生物の本性なんです。進化の本質なんです。
 入力がシンプルな時は、シンプルなスキームで対応できる。単細胞生物だったら、外界からの入力は「餌」か「捕食者」の区別ができればいい。「餌」なら食べる。「捕食者」なら逃げる。それで済む。でも、細胞分裂を繰り返して、だんだん生物の構成が複雑になってくると、外界からの入力の仕分け方もだんだん複雑になってきます。
 複雑さを処理する基本のマナーは「判断保留」です。「なんだかよくわからないもの」というカテゴリーを作って、「なんだかよくわからないもの」はそこに置く。  
 船に乗っている時、夜の海上に何か揺れるものが見えたとします。何か規則的な動きをしている。でも、鯨か、難破船か、月の反射か、なんだか分からない。そういう時に人間は、何かを見たけれど、それが何かを「決定しない」ということができます。「それが何を意味するのか分からないものがある」ということを受け容れる。
 それができるのは人間だけです。
 老人になることで際立って衰えるのは、この「なんだかわからないもの」を「なんだかわからない」ままに保持しておく力です。中腰に耐える、非決定に耐える。何か追加的な情報入力があって、自分自身がもっとも複雑な生き物になることによって複雑な事態に対処できるようになるまで、判断保留に踏み止まること、年を取るとそれができなくなる。
 体力気力が衰えると、はやく腰を下ろしたくなるんです。中腰つらいから。
 オープンマインドとか「開放性」とかいうのも僕は同じことを指しているのだと思います。老人になって、現場を離れたことでまっさきに衰えるのは、この力です。自分をさらに複雑な生き物に進化させることで複雑な事態に対処するというソリューションが取れなくなる。むしろよりシンプルな生き物に退化することによって、事態をシンプルなものにしようとする。「オレにも分かる話」か「オレには分からない話」かの二分法で入力を処理して、「単純なオレ」でもハンドルできるように事態を縮減する。
 僕は「心の健康」というのはこのことじゃないかと思っているんです。老人になると、確実に身体は衰えます。でも、心は衰えに抗することができる。それは複雑化するということです
 老いるというのは自己複雑化の努力を放棄することだと僕は思います。いささかきつい言い方になりますけれど。こういうことを老人に向かって言う人はあまりいないみたいですので、あえて自戒を込めてそう申し上げます。
 
 日本は超高齢社会にこれから突入します。当然、これから「老人向き書籍」市場にビジネスチャンスを求めていろいろな書き手が参入してきます。この本も、そういうものの一つと思って読んでくださって結構です。
 たぶんほとんどの「老人向け書籍」は「どうやったら楽になるか」「どうやったら話を簡単にするか」という方向で読者を惹きつけようとすると思います。知的負荷をできるだけ軽減するように誘導する。でも、そうやってどんどん老い込んでゆくのはあまり賢い生き方だとも、楽しい生き方だとも僕は思いません。
 みなさんはこれからあと本文に入られるわけですけれど、出て来るのは「変な話」が多いです。それを読んで「そんなことも、あるかも知れない」と言って中腰で耐えることができるかどうか、そのあたりを自己点検してくださるとよろしいかと思います。
 本書は、最初成瀬先生が2018年の秋に個展を開かれることになっていて、それに合わせて出版するはずだったのですけれど、よい版元が見つからず、いささかご無理をお願いして、集英社新書から出してもうらことになりました。その時に、集英社編集部から対談で触れたトピックのうちで「善く死ぬ」という主題にフォーカスしたかたちで出したいという要望がありました。たしかに、対談では「死ぬこと」に繰り返し触れています。でも、勘違いしないでくださいね。この本は別に「老人向け」のものではありません。若い人にこそ読んで欲しいと思います。死ぬ準備はいつ始めても早すぎるということはないからです。
 僕は能楽のお稽古をしているのですが、前にあるインタビューで「老後の趣味として能楽なんかやるのはどうでしょう?」と訊かれて、「老後になってからじゃ遅すぎます」と割と冷たい返事をした覚えがあります。老後になって能楽を楽しみたいと思ったら、リタイアするまでにそれなりのキャリアを積んでいる必要があります。リタイアした後の生活を充実したものにしようと思ったら、その準備はできるだけ若い時に始めておいた方がいい。
 「善く死ぬ」ことは老人だけに突き付けられた問いではありませんというのはそういうことです。みなさんのご健闘を祈ります。
 なんだか「まえがき」にしてはめちゃくちゃ長くなってしまいました。本文に入る前に読み疲れてしまった方もいるかも知れません。すみません。
 最後になりましたが、対談の企画と編集の労を取ってくださった豊島裕三子さんと、本を仕上げてくださった集英社新書の伊藤直樹さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。成瀬先生、長い時間お付き合いくださいまして、ほんとうにありがとうございました。またお話しする機会を楽しみにしております。
2018年12月
内田樹
(2019-04-15 13:48)


私が野口晴哉という超人のエピソードに惹かれ、その言葉に接することに言いようのない楽しみを見出だせるのは、私のブログが、内田氏が表現する、<どこに向かうのか分からない稽古の時に手がかりになるのはただ一つ「昔、こういうことができる人がいたらしい」という超人たちについてのエピソードです。そのような能力の「かけら」でも、もしかすると自分の中には潜在的にひそんでいるのかも知れない、修業を積んでいるうちに、思いがけなくそういう能力が部分的にではあれ発現するかも知れない、それだけが修業の手がかりになります。>の通り、そこに私なりの整体修業の思いがあるからにほかなりません。願わくば<人間の潜在可能性についての楽観性と開放性>を持って、<「科学主義的」な修業者としてではなく、楽観的でオープンマインデッドな修業者>たらんことを。
内田氏の、この前書きとしては長いけれども、この短文のなかに詰め込まれた豊かな思想的方法は、野口整体法の未来を考える時、非常に重要な示唆を含んだものと、私には思える。特に、整体操法というものが、人間の一対一の関係性の場面の問題であることを考えるとき、整体操法という技術やその知識というものが、<誰のためのものか>という本質的な問題と深くかかわってくるものだからだ。
個人は、一般化できない固有の感受性を持っている。整体操法の現場では、それら多様な個々人に対して、一人ひとり最適な<操法>指導を行わなければならない。そこでは決して一般化できない<技術>の用い方を要請される。
その時、整体指導者に要求されるのは、その<多様性>にいかに耐えてえていけるかという課題である。「こうすれば、こうなる」という一般化・客観化された技術のみ用いて、あとは傍観する、などということはできない。目の前の個人の<個別性>のまえに寄り添い、その<個別性>という困難さに耐え、そこで<最適な解>を見出だそうとする態度をこそ、野口氏の整体操法は要求しているからだ。
整体操法についての野口氏の講座が、多数の参加者や読者に対してなされるものである以上、操法の場とは異なって、<個別性>から一段と抽象度の高い、より一般化された<ことば>で語らざるをえない。そのことから、野口氏の<ことば>は、一見すると誰にとっても該当しそうに見えて、その実はまるで自分の課題とは該当しないものに思えてきたりする。しかも、話題は連想ゲームのように様々な方向に縦横に展開し、重層性を帯びざるを得なくなっている。
しかしよくよく考えてみれば、それは必然的な展開としてそうなっているに過ぎないのだろう。なぜなら、講座でのことばは、<一般性>と<個別性>との狭間で紡ぎ出さざるを得ないものだからだ。そこでわれわれは、野口氏の<ことば>の前で、改めて自己の個別性に出くわし、混乱し、より謎を深められた形で歩を進めざるをえなくなるのだろう。
いずれにしても、内田氏の表現を借りれば、<事態をシンプルに説明することはできないのが<生命>現象であり、<身体>現象であるからだ、ということになるのだろう。
そしてそこで自ら格闘して得られた<知>こそが、野口氏が指し示そうと目論む、<整体的認識>ということになるのだろう。
そしてそれは、個人や個別の組織の専有物ではなく、常にすべてに開かれたものであるべきだ、という事になるに違いない。
では、今日も講義録の講読、要約をはじめます。

整体操法高等講座」(19)子供の操法(1967.11.5)

子供を見るという立場から言うと、最初は必ず<抱いて>見る。寝かせて見るよりは、抱き取ってみると、悪い時は軽い。いい時は重い。これは非常に主観的な問題で、判りにくいと思うのですが、子どもといっても赤ん坊ですが、眼をつぶって抱くと、抱きとった瞬間に、それを感じとります。目方が重い、軽いというのとはちょっと違う感じです。ずっしりした感じがすれば大丈夫。顔色を見るとか、脈や呼吸を見るとかいう以上に、その感じを見ることは大事です。また便利です。

(依存期から独立期へ)
その逆に、四、五歳になると、その感じは別の問題になってくる。軽い時はその子どもが意欲的に何かをやろうという要求がある時だし、妙に重いという場合は、コンディションが悪くて意欲がない時です。
乳児期を脱して少し大きくなって、四、五歳の変化の時期が、<独立期>だと考えています。<独立期>の前と後で、軽い、重いの持つ意味があべこべになる。
小学校に行きだした子供をちょっと抱いてみて、妙に重かったら、学校で何かあって行くのが嫌になっているのではないか、と見る。軽ければそのまま行かせる。
だから、体のコンディションを軽い、重いで見れるのは三、四歳までであります。
子どもの操法も、このあべこべになった時期あたりから、やり方が異なってくる。

独立期以前では、一度患うと、すぐ方々の発達が促進されます。特に一歳未満では、ちょっと風邪を引いて熱を出したとか、打撲したというだけで、もう歯がはえてしまう。下痢をしたというだけで、それまで這っていたのが歩き出す。急速に発達します。しかしそういう発達は<正常な伸び方>とは言えないんです。そのように急に成長した場合、特に歯が生えてきたという場合、歯は初めから生えているんですが、歯茎に包まれているのが、それが早く取れてくる。すると噛む力が弱くなる。そして、早く発達したことで、意識を集中するという気力も弱くなり、意識が散漫になってくる。

成長が早いほうが良いように言われますが、早く成長すると、その部分が弱くなる。
生後十三か月における成長の問題は、その子どもの一生の問題とつながってくる。
だから、その期間は、病気になる前に、異常が起こらないように、にいつも調節しなければならない。

子どもの感情がまだ出来上がっていない時期でも、自分の嫌なことや快感はよく感じます。不快な感じを辛抱することが多いと、体の一部分にこわばりが起こってきます。
<鳩尾>が硬張っている時が一番不快な時。<肩>のこわばりはその次に不快な時。<頸>のこわばりが、その次に不快の時です。赤ん坊が泣いていたら、それを確かめればわかる。生理的な不快は、<上胸部>、<肩>、<頸>あるいは<鳩尾>に現れる。手足で反応している場合は、その不快に対して抵抗して、新しい境地を立てようとしている子どもの努力や気構えの現れです。この場合は、体のコンディションとしては悪くない。変動はあるが、異常ではない。
子どもの背中が硬くなっている時は億劫とか意欲の停滞とかいった状態。その状態で熱を出したという場合は、何かしたかったのに止められた、と言う場合が多い。これは独立期の子どもでも同じです。

独立期前の子どもを抱き上げた特、<軽い>感じのときは<脈と呼吸のバランス>を注意して観察する。弱っている時は、<吐く息>が長く<吸う息>が短い。
呼吸は、お腹での呼吸、鳩尾での呼吸、胸での呼吸と言う順に、状態が悪い。鼻翼で呼吸するというのは、一番悪い状態。

(一息四脈と禁点の硬結)
呼吸と脈のバランスは、<一息四脈>が正常。単に、脈が早いとか遅いということではない。ただ、人間がいよいよ死ぬという状態の時も<一息四脈>になるが、その場合はみな<禁点の硬結>がある。

(乳児期の高熱)
乳児期は高熱を出すことが多いが、脳膜炎や消化不良が元の脳症状、後頭部の打撲の後の高熱というのでなければ、あまり恐いものではない。

一番病気が簡単で、高熱が出るのは胃カタルです。子どもが胃袋を毀した時は、非常に高熱が出る、四十度を越す場合もある。いきなり寒気が出てくる。大人にもそういう傾向があるが、胃カタルを起こす前には手足から寒くなってくる。大人は手足がだるくなってから寒気になってくる。
手足が寒くなって熱が出るのが胃袋の故障ですが、腰が強張って熱が出てきた場合は腸の故障、腰や膝が冷えてくるのは生殖器の故障の場合です。ともかく、発熱の前の変動を注意して見ていると、いろんな特徴がある。・・・

このへんで子どもの操法については終わろうと思います。この次は、老人の問題とか女性の問題とかの操法のやりかたを進めていこうと思います。こういうように段階を踏んでやっていこうとするのは、操法というものを具体的に、実際にやるためにどうするのか、ということを御話ししたい為です。

(体癖を見出だすに至るまで)
<この人はどういう病気になるのか>、<その病気はどういう経過を辿って治っていくのか>、<この人はこういう時にどう考えるのか>、<この人はこういう時にがっかりするのか、騒ぐのか、おとなしく我慢するのか、勘考するのか、観念して諦めるのか、どういう態度をとるのか>、<この病気は熱が出るのか、下痢になるのか>、<感じるのか感じないのか>
こういったいろんな面を、相手の特徴として見分けられないと実際には実用にならない。そういう実用面での必要から、人間をいろいろ分けていったんです。
最初は、相手の<要求の方向>を見ることが必要だという事が判ってきて、それからこの<要求の方向>、要求の現れ方は、その人の<体運動>や<感受性>と関係していることを見つけ出して、それで<体癖>というものに分けてやっていました。
それ以前は、実用的な必要から、相手の<体の格好>で分けていました。その恰好と感受性の方向を見ていた。与えた刺戟がどういう反応に結び付くのか、その度合いはどうかと分けていったんです。
最近になって、感受性だけでなく、体運動の構造や体形とも大分密接であることが判ってきましたが、そういう<体癖>の区分は、子どもを操法する場合も大人の場合も、実際の操法の場面では除くことが出来ないのです。

この整体指導の講習会は、究極は対象を<体癖>に求めてやるのでありますから、こういう異常にはこうするというような問題ではなくて、もう一歩進めた技術を研究する人たちのものでありたいのです。皆さんを見ていると、一般の人たちの触手療法の会とあまり変わっておりません。まあ、私の講義が下手だったのでしょうけれど、それを残念に思いました。
今日はこれだけに致します。
(終)