野口整体を愉しむ(再録84)整体操法の基礎を学ぶⅢ(76)型、処、基本型など(最終回)

整体操法の基礎を学ぶⅢ(76)型、処、基本型など(最終回)

今回で、「整体操法の基礎を学ぶ」のⅠ・Ⅱ・Ⅲの最終回となります。これらが、私と私の知人がI先生から学ばせていただいた講習会の資料のほとんど全てです。講習会が終了したあとも、私が困ったり悩んだりしたときには、長時間電話でご指導を仰いだり、直接個人指導を受けたりはしてきましたが、結局、「高等講座」は開講されないまま今日に至っています。
このブログでは、I先生から戴いた資料をもとに、私なりの駄文も交えながら進めてこれたのですが、今後はそれも叶わない事ですので、「月刊全生」や「著作全集」を読み進めながら、整体操法についての記述を続けてみたいと考えています。
しかし、間接的にとはいえ、野口晴哉氏の肉声に接することの魅力に優るものはないと思いますので、手元にある「四の日講座」「七の日講座」「高等講座」の一部から、読者の皆様と口述記録の<愉しみ>の共有ができれば、とも考えています。
私が野口氏の口述記録にこだわるのは、それが野口氏による<語りことば>がそのまま記載されているからです。<語りことば>は、当然野口氏の身体を通して発せられたそのままを可能な限り忠実に再現しようとする意思によってなされているわけですし、何よりも眼の前にいる具体的な受講生の息遣いの反映としても、その雰囲気が伝えられるものになっている。その雰囲気、息遣い、そこに流れる<気>、それらのものが織り込まれていると思えるからです。
整体協会が会員向けの定款にみるような、あの文体、あの抽象的な言葉や、整体協会についての行政手続きの必要上作成された「整体協会の設置の趣旨およびその理由」といった文章からは決して感じとることのできない、ある種の魅惑的な誘惑が、口述記録には溢れています。

では、整体操法講座の最終回の記録を始めます。


I先生「整体操法講座の十一回目、最終回となりました。そこで今日は、型や処について、また操法の基本形といったことについて説明してみます。今後皆さんが、実際に整体操法を行っていく場合に、相手のいろいろな訴えを聞くことになると思いますが、その際の考え方の参考になると思います。実際に操法を行なっていかないと、次の段階の高等講座というものに行くことには無理があります。高等講座というのは、心理指導的な面が多くなります。しかしそれが何時になるか、それは何とも言えませんが、これまでやってきた様々な練習型をもってすれば、可成りな程度の操法は出来ると思います。効果も出せるはずです。それまでは、これまでのことを繰り返し復習しながら、実地の経験を積んでいってもらいたいと思います。では始めましょう。」

相手の背骨を観察していて、分かりにくい場合があります。その理由の一つは、相手の身体が弛まない為にそうなる。なかなか弛まないという時は、まず胸椎の十一番に手を当てて、息を吐かすだけ吐かせて、吐き切った時にゆっくり放す。それを二、三回やると弛んできます。相手の息がフーっと入ってくればそれでいい。そして、腰椎の二番に手を当てて、軽く揺すぶる。
そうすると、背骨がずっと調べやすくなります。この揺すぶるというのも、ごく軽く動かして全部が動くのが望ましい。強くやってはいけない。軽く触る。背中の操法をする場合でも、ある一か所だけを押さえるというのは本当ではない。揺すぶりながら弛んできたところを押さえていく。どこを押さえるにも揺すぶりながら押さえると、その局部が強く押されたという印象が薄くなる。触ったら揺すぶっているようなつもりで、少し揺すぶるということに慣れること。

これまで練習型というものをずっとやってきましたが、この練習の型というのは、その構成は操法をやっていくのに必要なものを、一通り身につけるために組まれたもので、やる人自身の身体を、操法するのに適した状態にするためです。
それが「型」というものの第一の目的です。ある部分を操法する場合に、常に身体全体の力を使っていく。だから肘をつけたままで、身体ごとで押さえていく。指だけではやらない。十年、二十年とやっていれば自然に決まってくるものですが、それを短期間で身につけるために、型の練習型がある。
ところが、自分の型が決まっていても、相手の身体の型を決めないと力を使いこなせないことが分かってくる。だから相手の身体の「型」を決めていく。相手の身体の力を使っていく。相手の力が、こちらの押さえる処に集まるように手伝う。そうすると少しの力で強い力として働きかけることが出来る。相手の身体の力を使いこなすということがないと、自分の型を決めてもどうにもならない。
相手の身体の力を使いこなすには、相手がいつ緊張し、いつ弛むかということを知っておかなくてはいけない。そのために、呼吸の間隙という問題がでてくる。相手が無意識に緊張したり弛緩したりしているのを掴むには、吸い切った頭、吐き切った頭を使っていく。それが出来ないと緩めたり、引き締めたりが出来ない。それが出来れば、相手の力の受け止め方をこちらで支配できる。「型」には、そういう方法が全部組み込まれている。したがって、型を詳細に練習していると、いつの間にかそういうことが身についてくる。身につくまでには時間がかかる人もいるが、早い人もいる。しかし、誰にでもそれは身につくようになっている。
相手の身体の状態に合わせることが操法するコツです。
それから、相手の身体を観察するという場合、調べるたびに変化しているということがあるが、そういう処は観る必要はない。身体はいつも変化している。我々が観るのは、変化している中に在って、変化しない異常を見つけていくことにある。異常に見えても一晩寝れば変化しているようなものは対象にはならない。ろれは臨時の異常である。十二個ある胸椎の中で、ほんとうの異常というものはそう幾つもあるものではない。

操法の「型」を練習で上手に出来るようになったからといって、操法が上手になったとは限らない。実際の操法では、「型」は型通り使うものではないからです。しかし、練習では、型通りに丁寧にやって下さい。

練習型で「処」について何度も見てきましたが、今日はもう一度おさらいをしておきます。特に「処」におけるさまざまな「関連」についてざっと見ていきましょう。

「急所」というのは、たとえば気絶した人の体じゅう揺すぶっても意識が戻ってこない。ところが胸椎の七番をショックすると戻ってくる。生かす時にも殺す時にも「急所」というものがある。
身体は細胞の集まりで、身体のどこでも同じように公平に出来ているかというとそうではない。或るところを打撲すると死んでしまう。事故であちこち打撲しても急所でなかったら治ってくる。
「急所」というのは、死ぬ方向ばかりではなくて、生きる方向の「急所」も沢山ある。整体操法は、生かす方向の急所を使って、相手の潜在体力を呼び起こしていく。

頭の「急所」を、尖ったもので軽く叩いてみる。そこが特別に痛い場合、体の他の部分の異常と関連がある。
そういう処が、頭部第三調律点の付近にあれば、鳩尾を中心とした処に異常がある。第四であれば、腰を中心とした処に異常がある。第二の周辺ならお腹に異常がある。
頭部第一調律点は身体の反射を鈍くする処。第三は、括約筋を引き締める処。
眼が疲れている時は、こめかみを持ち上げる。こめかみの左右に、厚い薄いの差があるばあいは、厚くなった方を薄くなるまで持ち上げる。これは脳溢血の予防にもなる。
鼻の下は、喀血を止める急所。そこをトンと叩くと止まる。
生理不順の場合に、顎の骨を下に押し下げると整ってくる。
耳の前と後ろは、耳のいろいろな故障を治す処。ここは泌尿器の故障にも関係がある。耳鳴りの場合、耳の後ろの突起部に愉気または軽く叩いていると治る。中耳炎の時に、そこが腫れているのは、脳に異常を起こしている。ここは、膀胱炎に効果がある。
三叉神経痛は、眼窩と鼻翼と耳の前を押さえてから、胸椎の三、四、五を押さえる。
頸動脈の処は、脳の血行の急所。脳軟化症や老人の惚けるのや、半身不随と関連。
惚けてくると何も慾がなくなってくる。生きているのも退屈になってくる。感覚が鈍くなってくる。また余り病気をしなくなってくる。頭の身体に対する支配というのは非常に大きなもので、頭と首の連絡が悪くなってくると、つまり惚けてくると死ぬ方向に近づいていくということになる。惚けというのは身体の保護の一種かもしれない。惚けなければもっと早く死ぬ。とにかく惚けだすと、身体は細かい反応を示さなくなる。だから鈍い身体を治す時は、首から治さなければならない。
頭と体の関係というのは非常に大きく、頭のちょっとした過敏が、身体の故障と非常に関係が深い。

頭の操法は、最初のうちはすこぶる気持ちがいいが、少し経つと不快になってくる。その時は首が硬くなっているので、その硬いところを押さえる。右か左か片側ずつ押さえる。一、二回押さえると頭の熱がとれてよくなってくる。これを一組としてやると、いろいろの故障は頭で調整がつく。

それから季節の問題について。春は冬からの惰性で栄養過剰になっている人が多い。冬には老人などの弱った人がよく死ぬ。それだけ冬は消耗が多いということです。
暖かくなれば消耗は少なくなる。だから暖かくなっても、冬と同じように食べていると、急に食べ過ぎとなり、胸椎の六番右と胸椎九番の右が硬直し、さらに胸椎四番の左に影響が出る。飲みすぎ、食べ過ぎの現象です。
こういう食べ過ぎ状態の場合は、定石通り胸椎九番を押さえても治っていかない。ところが腰椎の一番を押さえると、すーっと変わってくる。
これが秋だと、腰椎一番を押さえても治らなくて胸椎八番を押さえると治ってくる。
冬だと、食べ過ぎからくる心臓の苦しさや、手足の異常などはなかなか治らない。このように時期がある。時期によって押さえる場所も違う。
冬に食べ過ぎの状態になってしまっている人は、春まで待たねばならない。

秋や冬は「引き締め」の操法をする。春は「弛める」操法をする。弛める場合は、弛めようとするところの周辺を引き締めると弛んでくる。

気候の変化で身体のある部分が過敏になってくる。呼吸器系の人は<台風>に過敏である。肝臓の弱い人は<雷>に過敏、リウマチや神経痛のある人は、<雨>が降る時に異常感が強くなる。こういう気候の変動による身体の変化に乗って操法を進めると操法が非常に楽になる。

また、人の心の変化に乗って操法を進める時期というのもある。大抵の病気というのは、二週間ぐらいで良くなる。そこにいろんな治療法を加えると、二週間以上かかってしまう。二週間、何もしないで待っている方が、いろいろ工夫をこらしてやるより早く治ることがある。それも一種の操法と言える。

操法は、誰でも、どこでも、いつでも同じ操法をすればいいかといえば、そういうわけにはいかない。愉気でもそうで、離して愉気をした方がいい場合もあれば、触れて愉気した方がいい場合もある。膿が出ている場合や、皮膚病の場合は離して愉気した方がスーッと効果がある。ものもらいも話した方が早い。過敏なリウマチも同様。

触って愉気をすることが有利なのは、皮膚と皮膚の間の空気を遮断することで、汗をそこにとどめて乾かなくさせるということによる。
一方、身体の鈍いところは、叩くか強く押さえるかしないと反応しない。そこで押さえること自体が刺戟となるように強く押さえて愉気をすると、気がよく通る。
頭はゆっくり押さえ、腰は強く押さえた方がいい。ただし、「型」で押さえないと、力が相手の中に入って行かない。その鈍りが除かれると、非常に敏感になってくる。

身体は、眼と肺の関係、眼と泌尿器の関係というように、離れた処とも関係している。
肛門の弛んでいる人は、物ぐさな人が多い。やろうとしても億劫になってやらない。それは肛門、仙椎の四番、尾骨、腰椎二番、胸椎の四、九、八番と関連している。

尾骨を刺戟すると、最初に変動するのは肋骨です。鳩胸や、肋骨に固有の異常を持っている人の尾骨はみな狂っている。
尾骨をきちんとすると、生殖器の発育不全やその感覚の異常といった構造上の異常が治ってくるが、治る前に肋骨が拡がってくる。
六種の人の尾骨は巻いてしまっていることが非常に多い。
前屈状態と、尾骨。腰椎一番、五番、あるいは胸椎の三番と四番と尾骨。あるいは胸椎の八番と尾骨は関連している。
結核の人は頬が赤くなる。なぜそうなるか分からない、ただ自律神経の異常だということは分かる。
こういった訳の判らない「関連」というものが、身体には沢山ある。たとえば生理閊えると鼻血になる、ということの関連は分からない。鼻に出るものが口にまわって出ることもある。
卵巣の悪い人は、嗅覚がなくなってくる。臭気はわかるが香気は分からないというのもある。これは頸椎の三、四番の関連。胸椎の十一番にも関係している。
整体操法の「基本形」というのは、そういったさまざまな「関連」を追求して作られたものである。
基本形では、右の足と左の手の操法、というように体の上の方と下の方では左右逆になっているというものが多くあります。もちろん、同側の操法もある。
エンボリーのような、脳の運動系の故障、錐体路系の故障の場合は、同側の操法になる。
ところが、眼も胸もお腹も全部右側が悪いというような場合は、左右の重心の問題である。頭との直接の関連の異常ではないというものである。それは自律神経系の問題と言っていい。血管系統の異常はそうなる。半身全部がそう感じる人があるが、それは脳の関係ではない。
脳の関係の場合は、頭の異常と身体の異常が逆になっている。

ところで、頭の中に生じたいろいろな興奮は、皮膚と関連している。大脳が何かに対して集注しそれが持続したような時に、皮膚に変化を生じさせる。緊張すると汗が出やすくなったりするが、暑いから汗が出るというよりも、心理的な緊張による発汗の方が激しい。
このように考えると、脳の血行と頸椎の二番、および胸椎の五番は、同じ系統のものだと言える。ただし、胸椎五番の発汗は、主として生理的な汗腺と関係している。
大脳緊張で発汗する汗腺は、脇の下や額、あるいは掌である。それらは心理的な興奮と関係が強い。発汗中枢そのものは同じなのです。そういう意味で、頸椎の二番と胸椎の五番とには関係がある。

また、大脳緊張には、皮膚病と直接関係がある。特に不安というものは皮膚病を生じさせる。潜在的な不安がなくなると皮膚病がなくなるということは沢山ある。従って、恥骨や腰椎の一番が、胸椎の五番や頸椎の二番に関連することが分かる。
胃袋の異常というもののうちで、首が硬くなっているものがあるが、それは胃潰瘍や胃酸過多と関連している。胃袋の異常というよりは、大脳緊張の過剰に伴って頸の硬直がもたらされたというので、大脳の緊張の反映である。
胃潰瘍だから胃を切り取るなどというが、そういうれは恥ずかしいから顔が赤くなったと同じようなことで、不安とか異常な緊張による胃の収縮で胃酸が多くなったり、潰瘍が出来たりすると考えることが出来る。
そういう場合は、頸椎一、二、三、五、六と胸椎八との異常が重なっているので、頸椎を調節することの方が重要となる。
胸椎五、六、八が異常となっている場合は、多くの場合腰椎や腰部活点に変化はなくて、頸に変化を起こしている。腰部活点に変化を起こしている場合は、胃袋そのものの異常と考えてもいいが、腰部活点に変化がなく、変化が頸椎の二、六、七と関連するものは大脳緊張の関連と考えることができる。
人間はいろいろ空想するが、その空想によってからだも変化する。空想で身体が変化する場合は、空想に感情が伴った場合である。悲しかったことを思い出すと、急に涙が出てきてしまう。昔の嫌だった感じが起こってくると、急に腹が立ってくる。そういうのは、記憶というよりは空想であり、感情を伴ったものである。
耳というのは多くの場合泌尿器に関係する。足の小指は視力と関係する。親指は眼球関係。
胃袋が縮まると腸が働き出す。内臓反射。噴門が閉じると幽門が開く。そんなように、部分の臓器自体も関連しているが、臓器同士が互いに反射しあっているということもある。
だから整体操法の「型」だけを学んでも、そういう関連のことを知らないと、効果を上げるのが難しい。こうした様々な「関連」を知っていくことが「基本形」の勉強ということです。
操法の場面で、人はいろいろな異常を訴えます。
たとえば「右の肩が凝る、首が曲がらない、大便の色が黒い、あるいは逆に白くなる、そして時々痛む」と。
胆嚢は右肩と関連がある。胆石が出るような場合、まず肩が凝ってくる、肩から痛んでくる。そして胆石が出来るのは、胸椎四番の左、胸椎九番の右と関連がある。そして胸椎の九番と腰部活点、腰椎一番と関連があるような場合と右肩が凝るというのは一組である。

口の中は生殖器生殖器といっても卵巣ではなくて、子宮に関連。特に舌は関連が大きい。生殖器の働きを抑えていると、舌がよくぺらぺらと動いてくる。これはそういう生理的な機構が働く為で、その人達がお喋りの為に動くのではない。そうしないとバランスがとれない為である。その動くのが人を褒める方向に行くのと、亭主の悪口の方向に行くのとに分かれるが、それはその人たちの教養の問題で、動くという面では同じである。それを抑えていると、口の中の分泌物が多くなってくる。唾を飛ばして喋るなんていうのは、相当に余っている人たちです。
口内炎は、腕の処を押さえて治すが、それは直接治す場合です。しかしその前に骨盤の位置を治さなくてはいけない。腰椎三番、仙椎二番も口の中と関連する。口内炎の場所や化膿活点にも関連があり、胸椎七番の左にも関連がある。

足の裏は腎臓に関連がある。腎臓の悪い人は、足の裏が熱くなっている。足の裏は腎臓関係で胸椎十番と関連するが、足の「指」はいろいろな処と関連する。
足の親指は右の肩の凝り、あるいは肝臓に関連、左は胸椎七番や眼に関連する。小指も眼に関連する。眼に関連するものは泌尿器や腎臓にも関連する。足の甲は、多くは仙椎二番、四番に関連する。
身体が浮腫んだり、生殖器が悪かったりというのは、足の裏や足の甲、足の指の操法で良くなることが多い。特に、心臓が弱ったような時には、足の指というのは非常に関連がある。足の指を引っ張ると心臓の縮む力が増えてくる。
静脈瘤を治す場合、静脈瘤の部分に直接愉気をして治すのは、臍から下に出来ている場合で、肩の辺にそれがあるような時には非常に危険である。
静脈瘤が鬱血するのは、心臓に戻る復心還流の働きが弱いからで、お腹の中の収縮が良くなってこなくてはいけない。肝臓の収縮する力も増えてこないといけない。その為に腰椎一番、二番、三番、胸椎四番の操法が大事で、とくに心臓の収縮が弱い場合には、静脈瘤の恢復は難しい。

内臓についての「関連」もいろいろある。
皮膚は呼吸器に関連する。だから汗を引っ込めてしまうと風邪を引く。風邪をこじらせると腎臓が悪くなる。呼吸器と腎臓が関連してくる。そして腎臓が悪くなった時に汗が出ると良くなってくる。
腎臓はまた皮膚病に関連がある。腎臓、皮膚、呼吸器はいつも一組になって動いている。だから腎臓が悪い時に、腎臓だけ追いかけていては駄目で、呼吸器や皮膚の働きを増すようにすると、良くなってくる。
皮膚に出たものを体の中に追い込むと、浮腫むことがある。あるいは肺炎などを起こすこともある。皮膚が働けば治るが、皮膚が働かなければ泌尿器に異常を起こしたり、浮腫んだりする。そうのように、一連のものとして見なければならない。
静脈血の還流の悪い時は、中毒、リウマチ、痛風、神経痛と関連し、胸椎九番と胸椎四番に関連し、同時に腰椎一番にも変化を起こす。そういう関連を見ていく。

初等講座では、一つ一つの椎骨の持つ意味を知って、胸椎六番は胃袋との関連、胸椎八番は胃袋の拡張状態と関連、胸椎十番は腎臓と関連というように見てきましたが、それだけでは実用にならないのです。
実用になる為には、今見てきたような「関連」というものを「基本形」として学んでいかなければならない。
体じゅうにある様々な「関連」を知って、その「関連」する処を調整しなくてはいけない。
熱が出たからそれを下げようとしているだけでは本当ではない、というかそれは間違いなんです。熱が出た時に変に下げると、皮膚が縮んでしまう。そうすると治りが遅くなってしまう。われわれが発熱のときに、後頭部を温めたり、足を温めたりすると風邪が早く治るというのは、皮膚と胸椎三番と胸椎十番の「関連」を利用した為で、汗が出ない時には胸椎の五番や十番を刺戟する。呼吸が苦しい時には、胸椎の五番、十番を刺戟すると楽になる。
胸椎三番、四番を刺戟すると浮腫みがとれてくる。
皮膚はまた、頸椎二番、つまり脳の血行とも関連しており、ここの硬直とも一緒になっている。
こうした「関連」を知って、関連して閊えている処を調節していくというのが本来のやりかたで、腎臓が悪いから腎臓を対象にするということは、実際の場面ではおかしなことと言える。
肛門が弛んでいるような場合に、頭部第三調律点を叩くと締まってくる。心臓が悪い場合も、ここを叩くと心悸亢進も治ってくる。
こういうことは、偶然そうなるのではなく、「関連」があるからそうなるのです。
整体操法というのはこういう「関連」を利用していくのです。また「関連」を利用することで、操法自体の時間が短縮でき、しかも簡単に対処できることに成功したのです。

腰椎の二番に異常があれば、それはすぐに胃袋の収縮、腸の収縮、消化器の異常と考えることは出来るが、それだけでは駄目である。もし胃袋なら胸椎の五番、六番と「関連」がある、そこに変動がある。もしそれが皮膚との「関連」であれば恥骨に過敏が生じている。また、上頸にも変化が生じている。そしてそのことを通して、胸椎三、四、五、十番という汗や泌尿器との「関連」を確かめていって、はじめて腰椎二番の変動の意味や実際の性質というものが確かめられる。

こういうことは、ノートに書いて覚えようとしても大変で、ノートをなくしたら何もできなくなってしまう。そういうことで「基本形」というものを組んであるわけです。

「基本形」で示したことは、病気というものがその「基本型」に示したようにキチンと沿って経過している。そこに示したもの以外には、めったに外れるということがない。病気にはその病気の辿る道筋というのがある。だから一つの異常が見つかれば、あっちこっちに「関連」のある異常がみつかる。その「関連」を読んでいけば、その異常の元になっているものも見当がついてくる。

たとえば蓄膿症の人がいるとします。鼻は頸椎の四番であるというのは初等の段階であるが、蓄膿症の人は太っている人が多い。太っていることと鼻というのは「関連」がある。だから蓄膿症の人には腸骨を調整する。太るということは、腸骨の異常によって起こるからである。腸骨というのは卵巣の動きに「関連」している。そのことが鼻にも「関連」しているということになる。
卵巣の異常は婦人科に行くとか、太っているから美容体操するとか、鼻の異常は耳鼻科に行くとかいうが、それは一連のものであって、別のものと考えるのはおかしいのです。
「基本形」の一つとして、操法を始める時に、つまり相手が操法を受けたいと言ってきた時に、一旦断る、ということから始めることがあります。それは神経衰弱の人とか、口やかましい人といった、頭の系統の異常や生殖器の異常をかかえた人を操法する場合の方法として、それがあります。
その逆に、「肯定」から始めるという「基本形」もあります。それは骨盤が拡がっている人や、自分でものが考えられない人、あるいは連想力の悪い人、記憶は出来るが連想が出来ない人、そういう体の人には、「大丈夫です」「やってみましょう」と言うことから始めます。
操法というのは一番最初が大事で、その最初が勝負のしどころで、そこで決まってしまう。あとは大抵の場合、本人自身で治してしまう。
われわれは、治るようなきっかけを作ってやればいいのです。どこまどもこちらの力で治してしまうつもりでいると難しい。
「基本形」の第一は、相手が緊張型ならば「否定」から入っていく。弛緩型なら「肯定」から入っていく。つまり体癖の奇数、偶数の違いにより入り方を変えていく、ということがある。
奇数型に人には「否定」的な面から入っていく。弛緩型、偶数型の人に「否定」から入っていくと、みなガックリして動けなくなってしまう。「大丈夫だ、しっかりしろ」と言うと元気が出てくる。
力がある奇数型の人に「大丈夫だ、しっかりしろ」などと言うと、それでなくてもしっかりしている人だから、からだが弛んでしまう。「全部まかせなさい」などというと弛んでしまう。これが操法を始める前の「基本形」です。

糖尿病の場合を考えると、糖尿病と言っても甲状腺が悪くなっているものもあれば、心理的な面でそうなっているばあいもあり、膵臓の異常から来ているものもあれば、栄養調節としてそうなっていることもある。
栄養調節として糖尿の症状があっても、胸椎の六番、七番が異常でなければ、栄養過剰による糖の排出であって、糖尿病としての操法は必要がない。尿に糖が多く出ているからといって、病気だとしているが、そういう場合は余分な糖を捨てているだけである。
蛋白が出ているといっても同じである。
もとろん、糖や蛋白が出ていてもすべてが問題ないということを言っているのではない。出ているだけですぐにそれを病気と決めてかかることが本当ではないということである。
糖が過剰栄養としてでている場合には、まず胸椎の九番が硬くなる。ついで右の肩が硬くなる。それは調節している場合である。異常の時は胸椎六番、七番に変動がある。そういうものを確認してから決めなくてはいけない。
だから、操法にかかる前に観察ということが大事なことになってくる。観察ということをやらないで、医者が糖尿病だと言ったので、糖尿病の操法をするというように考えたら、それは間違いである。もっと糖の出るのを観ていれば身体全体が丈夫になるということもある。胸椎九番が硬いような場合はそれにあたる。

病気として栄養を捨てていることがある。その場合には二つあって、甲状腺、頸椎六番、胸椎七番、あるいはラムダ縫合部の弛緩。これは頭の、間脳関係のものです。
身体に変動があるからといっても病気とは言えない。病気になって、熱を出しても、身体を良くするように働いているのなら、その熱は病気とは言えない。下痢をしているからと言っても病気とは言えない。
悪いものを出しているのだったら、調節であり、健康法である。

観察をしていくと、「基本形」にあう処の変化がみな起こっている。たとえば、胸椎四番左、胸椎九番右、腰椎一番の両側に硬結がある場合であれば、われわれは中毒ではないかと考える。何の中毒か分からないが、そうなっていれば中毒現象である。その中毒現象が、他の胸椎三番、四番、十番に変動があれば、今の呼吸、皮膚、腎臓の系統の変動と「関連」がある。それは身体のなかで、中毒に対する処理の動きが起こっている。肺、皮膚、腎臓はともにからだの排泄器です。

変動があれば、そこが硬くなってくる。硬くなるということは変動があるということだけなのです。だだ、硬いから弛めるというのではない。その硬い中に変動がある。その関連のなかで、硬結のある場所がある。それを見つけ出す。そしてそこに愉気をする。そうすると全部が変わってくる。一番元になっている硬結さえ見つければ、それ一つで仙椎から頸椎までフーっと弛んでくる。

操法する場合の観察の対象は、硬結を指で見つけ出すということが一番大事な観察です。知識に頼っていては観察はできない。あくまで指で観察する。
胃潰瘍の場合に出るボアス圧点というのがあるが、それは胸椎の十番に出るということが本に書かれている。ところが実際には八番にそれが出ている人がいる。体の収縮する働きが強い人はみな八番に出る。伸びる傾向の上下の人は十番に変化を起こす。胃潰瘍を起こす人は上下的な人が多いので、十番に変動を起こす人が多いのは確かだが、体癖によっては同じ胃潰瘍でも八番に圧痛が出る。だから、体の状態から出発しなければいけないのです。
「基本形」で最初にする観察は、もっぱら指で硬結を見つけることが問題になる。
それが出来ないと、「基本形」が使いこなせない。

まず中毒の「基本形」について。
胸椎四番左、胸椎九番右が中毒の基本になる処です。そして消化器に中毒があれば、胸椎五番、六番、腰椎一番、二番の二側に変動が起こる。ところがそういう処に変動がなくて、八番の左一側に硬結がある場合は、消化器ではなくて、一種の自家中毒です。
そこで、胸椎五番や腰椎一番に故障があれば、それは皮膚にも出ないで体の裡にこもって、神経痛や通風を作っていく。もしそれが、仙椎部に影響のあるものであれば、ガンとか肉腫のような分泌物のもたらすものです。
お腹の中でピクピクしたり、痙攣したりするのは虫の中毒のことがある。そういう場合も、消化器の異常よりは、胸椎四、九番という中毒の型を示している。
胸椎の四番、九番の変動は、中毒とみなす。食べ物による中毒か、新陳代謝の異常か、身体のなかの何処かは分からないが中毒だとそうなる。レントゲンをよくかける人もそこが硬くなる。血友病の場合もそこが硬くなっている。
それらの処理をおこなうと、神経痛やリウマチ風の状態もなくなってしまう。癌でも血友病でもその中毒する傾向を解消していく。どの症状もやわらいでくる。
四番と九番を一つに見ていくのが中毒の操法です。
その操法は、四番は一側。九番は三側。九番を刺戟すると、四番の三側が硬直してくる。そうなったら次に胸椎十番の操法を行なう。もし、胸椎九番の三側の方が硬直してきたら、あるいは九番の一側に硬直が起こったら、一側は仙椎部の操法、三側なら右の股間操法を行なう。
これが一組になって中毒の操法の「基本形」を構成している。これを「基本形」の第一号として覚えて下さい。
中毒と言うのはその範囲が非常に広くて、黴菌が直接に害を及ぼすのではなくて、黴菌の分泌する毒素で中毒することが非常に多い。そういう場合にも、四番と九番に変動を起こします。

胸椎四は一側ですから、跨って押さえる。中毒していると一側の線がピンと張っていて指に触れない。硬くなってしまっている。硬くて一側に触らない状態で、愉気しながら待っていると、指が中に入っていくようになる。入ったら少しはじいてみる。何回かはじいていると線に触ります。それが早く触れれば中毒の度合いは軽い。重くなるとなかなか触れない。
二、三回やって触れない時は、諦めて、胸椎九番の三側を押さえます。内に寄せるように押さえていく。弛んできたら指が入るようになる。そうしたら寄せる。中毒している時にはここがゴリっと音がする。ゴリっと二、三回音をさせてから、また胸椎四番の一側を押さえてみる。そこで一側がはじけたら、そこから中毒の操法が始まるのです。
胸椎九がゴリっといっても、四番の一側にまだ触れられない状態では中毒の操法にはならない。触れられたら、次の九番を見る。そこがまた硬くなっていたら、十番の三側を内に寄せるように押さえていく。寄せては放す。放すたびに相手が息を吸うように押さえる。つぎに、胸椎十番の棘突起を押さえてゆすぶる。これも吸わせるように放す。
胸椎九番の硬直が三側ではなくて一側に硬結が出来ている場合は、右の股間を押さえる。多くは右側が縮んでいる。まずその側の足を先に弛める。足を引っ張る。それから坐骨神経の処を上から下に押さえていき、股関節のすぐ上の筋肉を下に下げるように押さえる。中毒の場合、非常に硬くなっている。それを弛める。それだけです。
一側の硬直の場合は仙椎二番をやっておく。
次に仰向けで、鎖骨窩の硬くなっている方を押さえる。これを押さえながら、片方の手で肝臓部を押さえる。これは一度でいい。あとは左手を胸椎四番の一側に当てて、持ち上げるようにし、右手は肝臓部を押さえる。一側の処を手前に引くように押さえると、右手の肝臓部を押さえている処に力が入ります。右手と左手の力が合うように押さえる。
次に頸椎二番の硬い方だけを押さえて弛めておく。これは「基本形」ではないが、中毒の操法をやったあとでこれをしておかないと保たないのです。操法の効果を持続させるためにやっておく。

鳩尾の上の膏肓という処、病がここに入ると助からないと言われている処。ここは、何かに中毒したときに、最初にそこが硬くなる。中毒していなくてもここが硬い人は沢山いますが、ここが硬くなっている時に右の脇腹を押さえると脈が強く感じられる。そこが強く脈打っている感じがするうちは中毒症状は軽いが、表面にではなく奥の方でそれが感じられる、しかも強い動きがあるという時は、中毒が進行している。

胸椎の四番、九番を操法していると、相当体の鈍い人でも感度がよくなって、変化を起こすようになります。だから、どこから手をつけたらいいのか分からないほど鈍った人に対してこれをやることは、とても効果がある。
それから、胆石や腎臓結石、膀胱結石なども、四番、九番を調整すると石を作らなくなるし、石のある人は砕けて出てきます。

このように、「基本形」を覚えてから体癖に適う操法が出来るようになると、ぼつぼつ実用になってきます。ただし、呼吸の問題は忘れてはならない。
硬結を見つけたら、それをじーっと押さえる。すると硬結が動きます。動いたときにグッと押さえる。
硬結が動くことを我々は「逃げる」と表現しますが、時には胸椎四番から一番まで逃げていくというのもある。以前やった「頭の穴追い」といっしょで、硬結を追いかけていく。追いかけていって逃げない処までいって、押さえると、硬結がなくなります。
逃げていく順序で中毒している経過や、中毒を起こす理由を読んでいくわけですが、そうなると難しくなってしまうので、しばらくは「基本形」を丁寧にやって身につけていくようにしてください。
「練習型」と「基本形」の違いは大体分かったかと思います。
まだまだ説明すべきことが沢山残っているようにも思いますが、一応今日で一区切りとしたいと思います。
お疲れさまでした。今後の皆さんの精進を心より期待しています。

(以上)