野口整体を愉しむ(再録49)技術における度の問題

整体操法の基礎を学ぶⅡ(41)技術に於ける度の問題
野口整体 整体操法
以下は、I先生から戴いた資料の転載です。I先生は、我々受講者のために、その都度こうした資料を作成して講義に臨まれました。従って、野口氏の口述記録をもとに資料を作成したとはいえ、I先生ご自身の受講体験や、操法の個人指導を通じて得た経験も踏まえ、又私たち受講者の受容状態を考慮して何らかの変容も含まれているものと思われます。ですから、本来なら原典をここに明記しながら記録を進めるのが筋だと言えるのですが、今はそれが叶わないため、ブログ読者の皆様にはまどろっこしさの残るものとなってしまっていると思います。どうかご容赦下さい。なお、今後、原典やそれに類するものが判り次第、このブログにて掲載することにします。
ただ私としては、整体を学ぶ多くの方々が、野口晴哉氏が心を砕いた課題がどこにあったのかを知るためには、このブログの講義記録も決して無駄にはならないと思うし、市販された野口氏の著書だけしか目にすることのできない人にとっては、野口整体法の奥行きの広さや深さの一端を感じとれるはずだと思うのです。また、整体を標榜し、操法して他者に向き合われることを専門に行っている人にとっては、野口氏の目指したものを再確認できることにもなるかもしれないし、野口氏が目指してなお達せられなかった領域を見出せる非凡な才能を鼓舞する一助になるかもしれないとも思います。私如きの言うべきことでは無いとは思いますが、そんな気持ちがあるのも事実です。では、記録を続けます。

一般にヘルニアとか神経痛といったたぐいの痛みを伴う異常は、何とか早く楽になりたいと思い、痛み止めの注射などをするのが普通である。そういうことを三か月とか半年続けている人が、整体がいいからということで見てほしいと言う。こういう場合、まず「どうせ半年続いたのだから、あと半年くらいはたいしたことないだろう、半年くらい経ってから来なさい。それから来れば七回もやれば治ってしまう。」というようなことを言って、何もやらないことが操法する方からすれば常識である。本当は良くなりたいから、やってくれと言うのですが、「どうせやっても悪くなるだけでやるたびに悪くなったらあなただって気分が悪いだろうし、私だって悪くなったと言われれば嫌だ。操法すると、いままでの毒素や薬として使っていたものを排除しようとするから、痛みが余計に増す。それより薬が排泄された頃にやった方がスーッと楽になる。あなたも気持ちがいいし、僕はもっと気持ちがいい。」と。
どうしてもやってくれと言う人がいる。操法すればみな良くなると思っている。そう思っていてやる限りにおいては、神経が回復して体が良くなってくると、痛みに対して鈍くしていたものの回復が行われるから、痛みが多くなってくる。毒素や薬として使っていたものを排泄しようとするから、いろんな変化が起こってくる。操法して体が良くなるたびに、そういう悪い、異常感が増えることになる。そのため、頭ではそれが好転反応であると分かっていても、操法に対する不安、不安感、操法すると悪くなるのではといった思いが潜在意識のなかに重なって、操法に対する信頼が薄れてしまう。
すぐに良くなりたいと思う。しかし、操法というのは体の生きている速度で動いていくんです。相手はそのことを知らない。医者に行って数多く注射をすれば痛みは止まる。それと同じように、数多く整体で押してもらえば良くなるということしか知らないのです。だからこういう考えを変えていかなければ、本当の健康を保つことは出来ません。

操法する人も同じです。数多くやれば効くんだとか、強く押さえれば早く良くすることが出来るんだと思いがちですが、それは本当ではない。
相手の体の力に応じていくと良くなるのです。相手の力が足りない時は、急がずにじっくり構えなくてはいけない。動けない人を突き飛ばしたり、使っている杖を取ってしまったりということが、却って本人を健康にしていくという行為になる事だってある。
指圧療法やマッサージ、あるいは整体を標榜するものを、痛いのを我慢して繰り返しやってもらっているという人がいる。筋肉と言うのは、なんでもやり過ぎると強張ってきます。その度合いが過ぎると、こんどは筋肉が過敏になってきて、それが続くと弛んで力が無くなってくる。あるいは逆に硬直することがある。
それは、体が、外からくる刺戟が過剰になるにしたがって、その刺激を受け取らないようにすることから来ている。ちょうど紫外線を浴びると肌が黒くなるのと同じです。
外からの過剰な刺戟を防御するために硬直し、同時にその刺激に対して敏感になってきて、ちょっとの刺戟でも反応が起きるようになる。そうなったら、治療ということをしないことが、むしろ治療になる。何かしなければ不安だと続けると、いじくるたびに悪くしてしまう。
こういう人が、操法してほしいと言ってきた場合は、これまでその人がいじられてこなかった処、我々の言う一側を処理しますと、異常が無くなってきます。一側と言うのは普通の人では触れないものです。異常が無くなってくると、相手はもっと良くなりたいと思って、もっとやってもらいたいと要求する。操法操法の間をおく、ということが理解出来ないのです。何もしないその間が、治療するんだということを知らない。
そういう人が多いのです。
もちろん、受ける人がそういうことを知らないというのは仕方のないことではあります。ところが、やる側の人がそのことをわきまえず、数多くやって効かせようなどと焦ってしまう。操法に於ける度の問題を会得していない人なわけです。
叱言だって言い過ぎると効かなくなるのに、数多くやる事ばかりに考えが行ってしまう。それはやっている自分が不安だからであって、やらないでいることを見ていることが不安なためにいじくりまわし、ついには相手を壊してしまう。

体が良くなるというのは、本当は操法したからではないのです。操法に対して相手が反応し、自身の裡の良くなろうとする働き、整体になっていこうとする働きが喚起されて、初めて良くなるのです。いちいち操法などしなくても、そういう働きさえ起こっていれば自然に良くなってしまうのです。
だから、何もしないでジッと見ている、ということも操法の一つとして考えていかなければならない。やらないでいる時間を、操法として使えるようにならないといけない。
種を撒いても、芽が伸びてくるまでには時間がかかる。
操法する為には、初めに計画がなされなくてはならない。そして、その計画の中に、何もしない時間というものも入れておく必要がある。間を活かすということが工夫されていないために、度というものが何時も余分に行われて、相手を壊してしまう。
頸椎ヘルニアになって、外科手術で棘突起を切除してしまって、頸が持ち上がらなくなり、口もきけなくなってしまったという人がいる。外科医は正確に頸椎の位置を治したのだからこれでヘルニアは治ったと言う。しかし、それは位置が治っただけで、新たに別の病気を引き起こしたとは考えない。明らかな後遺症です。しかし、こんなふうに、やることの度を過ごして壊すことは、整体でも外科でも同じで、一生懸命やりすぎてしまい、相手の体の受け入れる働きを無視してしまって、受け入れられないほどのことを押し付けてしまう。手術でも、多すぎたら取り除き、足りないと足す。血が足りないと言っては輸血する。栄養が足りないから足す。みなそういうように物理的なことばかりやっている。それは人間の構造というものに対する無知からきている。親切の過剰も、薬の過剰摂取も、叱言の過剰も、みな度を越せば害になる。親切がときに拷問のようにさえなる。善意が悪意より始末が悪くなることもある。そういう無知のための善意の押しつけが結構あるわけです。
操法も、やる事だけに気を奪われると、今言った何もしない時間を活かすということに考えが及ばない。そして過度の、やり過ぎの害が生じてくる。
度と言うものは、匙加減でやってはいけない。その人の体の感受性状態からつかまえださなくてはいけない。そういうことは具体的には難しいことです。今働いている感受性によって生じた変化を確かめながら操法を進めるということが大事です。体のあちこちを、相手の訴えるままに進めるのではなく、ある特定の場所の変動を確認することによって、相手の感受性に与えた結果をみて操法する、ということが大事な技術になります。

度の会得の練習
今日は、技術における度という問題をはっきりさせる為に、頭部調律点を使って練習してみます。
前にやったように、頭部第一を押さえると、みぞおちのこの部分に反応がくる。吐き気やめまい、あるいはつわりなどもこの頭部第一を叩くとなくなってくる。喘息の発作などの過敏反応やレーリー現象ñあどの過敏反応状態は、これを叩くとおさまってくる。禁点に硬結が出来ると、額に黒気が出る。昔は額に黒気が出ると言って、額に漂うと表現していた。やはり禁点と同様に死ぬ前にここが変化する。
第二調律点は臍の両側、第三調律点は脱肛や脱腸など括約筋がたるんでいるここを押さえる。第四は腰、丹田、下腹。第五は胸、胸囲が縮んでいるのはここを叩くと拡がってくる。といったように、頭部への刺戟は体に変化を起こす。
その中でも、第二とお腹の関係が一番判りやすい。第二を叩くと腹直筋が変わる。左右どちらか弛んでいる方を叩くと、お腹の硬いのが弛んでくる。後頭部を叩けば腰が弛んできますが、腰よりはお腹の方が判りやすいので、お腹で練習して、度と言うものを会得していきます。調べては叩き、調べては叩きしていくと、だんだんお腹が柔らかくなってくる。そこでやめる。
お腹を触らないでお腹を調べる。あるいは押していく。押していきながら止めて、それで調べる。たとえば木の棒で頭を叩く。そうすると叩いているうちに音が変わってくる。柔らかい音が硬くなる。硬い音になった時はお腹が揃った時である。お腹を指で押さえていくと、柔らかいところの中にある硬いものを押さえているわけであるが、その硬いのがスーッとへこむ。その瞬間にお腹は弛んでいるんです。

今日はまず第二を叩けば腹直筋が弛むということを確かめて、それが判った人はモデルを変えて頭を押さえてみる。お腹を確かめてから、もう一回頭を押さえてみる。お腹を触らずに頭だけ押さえて行って、頭でグーっという変化を感じたならば、そこでやめて、お腹を調べる。左右揃っておれば、その適を得たのだと考えていい。

これは頭だけでなくて、いろんな場所で同じことがあるんです。手でこうやってその変化を見て、これが適当だというそれがあるんです。人間には共通して方々に処というものがありますが、最初にお腹のこれで練習して、手における適度というものを感じとることを会得すると、他の操法の場合に、どこでも触ったままで、ここだ、というのが判るようになる。この適の感じが判らないまま指を棒のように使っているから、やり過ぎになるのです。ああここだという適度というものが指で感じとることが出来るような指になっておれば、自然にそこでやめるのです。
それが判らないから、何分押さえたという時間の事ばかり言うが、質の変化というものは時間の経過に比例しない、それは人間の体から離れて度を得ようとしているのです。
ほんとうの度というのは、触りながら手の感じでこれだというのが判るのです。

第二の硬い側の頭を押さえる。はじめは叩いてもいいし、ジッと押さえてもいい。小さく硬くなっているのが、じきに大きく柔らかになってくる。一応そういう頭の操法とお腹の硬い柔らかいというのが関連があるということを一度自分の指で確かめておきます。
それが出来てから、今度は頭の第二をジーっと押さえる。そうすると今度は指でここだというのが判ります。硬いものがあって、その硬いものがズブッと入る感じがある。はじめは柔らかいからジーっと押さえているとへこんできます。へこんでいるうちは何でもない。へこんだのを尚おさえていると、ズブッと入るような感じがあります。そういう感じです。その時がちょうどピッタリの時なのです。すぐやめて、お腹を押さえると、ちゃんと柔らかなっている。その時すぐやめないで、もう少し丁寧にやって、それから調べようなんてやっていると、もう駄目なのです。余分にやることは丁寧ではないのです。その瞬間、ズブッと指が入った時に、ここだと、すっとやめることが一番上手なのです。一番親切なのです。これを練習で やってみたいと思います。

やり過ぎて頭を叩いているうちにお腹が硬くなった人があります。腰が曲がっていて硬くなっている場合に弛んでこない。それは二側の変化ではなく一側の変化です。そういう人には、足の甲の中指と薬指の間を押さえていると、くっついている骨が開いてきて弛んでくる。その時お腹を調べると、頭を押さえても弛まなかったものが柔らかくなってくる。頭を押さえすぎて硬くなった時も、ここを押さえると良くなる。

頭部第二は、一側系統の拡張反射の場所、頭から神経系統を経て、お腹に至る変化を起こす場所。足の甲の三、四指の間は二側の反応で、体の姿勢とか腰椎二番の変化というものを通して、腰椎二番は収縮の方ですが、その働きを否定する働きで拡張反射を起こす。腰椎二番が曲がっているような時に足を押さえると、それが治って、拡張反射を起こす。拡張反射というよりは、収縮反応を停止させる、そういう働きを持っている。

お腹を弛める方法として、もう一つあるのが、鼻の粘膜。胸椎十一番の刺戟というのがある。頭部第二をやり過ぎてお腹が逆に硬くなってしまったので足の三四間をやったのに弛まない場合は、鼻のねんまくの過敏状態があるから、コヨリを作って鼻の穴に差し込んで、くしゃみを誘発させれば弛んできます。これは拡張反射の誘導です。拡張反射を起こしすぎて喘息を起こしているような場合も、くしゃみを誘導するとすぐにおさまってくる。胃が縮んで痛む場合もこれで治ってくることがある。腸が拡がると弛む。もう一つは胸椎十一番が痛み止めとして使われます。その逆に、収縮反応を起こす処は腰椎二番です。足なども、内側は収縮反応を起こす処です。上肢第四も収縮反応を起こす。後頭部も収縮反応を起こす場所で、これらはみな、痛みを促進させる処です。
そういう処を、押さえて行って、押さえている過程の変化を指で感じ、度の適をみつけていくことを練習に使えます。スーッと指が入っていく感じ。それが判るようになると、一側を押さえてもその変化が読めるようになります。どこを押さえても、その変化が感じられた時が、押さえるのをやめる時です。
このことは、中等講座では一番大切なことです。指で納得できるまで練習を繰り返して下さい。
胸椎十一番あ腰椎二番に異常がある人の場合は、連動してこないので予めその処理が必要になります。この練習で難しいのは禿げた人の場合です。直射日光を浴びているので毛のある人より硬い。普通、硬いという時は、禿げた人の頭のような、という言い方をしますが、そういう感じの人には、頸椎二番の一側を押さえてからやると普通のようにお腹も敏感に変化します。

今日の練習は第二の左右の変化とお腹との関連、体の左右重心の変化、消化器の拡張変化、胸椎十一番や腰椎二番との関係などを見てきました。そして第二を叩いて、腹直筋の変化をみて度の会得の練習をしたわけですが、ほかにもいろいろ面白い変化があるのです。お腹は硬い方の足が短くなっている。風邪を引くには片方の足が短くなる。それを頭部第二を叩くと長くなる。顔の片方が小さくなっている時に硬い方を叩くと大きくなってくる。片方の眼の細いのも第二を叩くと大きくなる。唇なども、小さい方の唇がが叩くと大きくなってくる。そういうように、いろんな面に反応しあうのです。だからそれらを順に追いかけていくと、普段判らない処の変化がいろいろ判ってくる。
それから、頭と足は直結しています。ただし、足と手は逆になります。錘体外路系が頸で交差して逆になっているのに、この操法での錐体外路系操法では、同側に影響しているのです。
まあ、いろいろな変化を丁寧に見ていくと、体癖と体の変化の傾向、どういう体癖だとどういう病的な変化を起こしやすいかという体の傾向も判ってくるのです。とりあえずは、指で度を得る感じ、指で変化をつかまえるということを目標に、練習をしていきたいと思います。今日はここまでにします。