野口整体を愉しむ(再録38)整体操法の基礎を学ぶ(30)整体操法に入る前の準備

整体操法の基礎を学ぶ(30)整体操法に入る前の準備
 
I先生。「今日は整体操法を実際に行うに際して、みなさんが予め知っておくべきことを、練習を通してやってみたいと思います。」

操法に入る前の準備
一番初めにやることは、お辞儀をし合うということです。以前、お辞儀をしながら相手の異常を観察する、と言いましたが、本当はお互いの気を揃える、ということがもっと大事なことです。気を揃えながら相手の動きを見るということです。そして、これは操法する者とそれを受ける者という立場をはっきりさせるという意味合いもあります。特に初心者のうちは必要で、親子であっても夫婦であっても、やってもらって当たり前ということでお辞儀など要らない、というわけにはいかない。一人前になってからは、別にお辞儀にこだわる必要はない。
つぎに、頭の状態を見ます。お辞儀の後、相手の方に寄っていくのではなく、「もう少しこちらへ」などと言う。これも操法する立場を決める一つの方法です。
野口先生の操法では、お辞儀の後、すぐにうつ伏せに寝るという形をとり、頭を調べることは省略されています。それは人数が大勢のためでした。しかし、本式には、頭を調べる。いきなり背骨を調べるということでは判らないことが沢山あります。
今日の練習では本式にやってみます。
坐位、膝を立ててこう構える。右手で相手の後頭部を押さえ、左手で前頭部を押さえます。後頭部がブクブクしているか、硬くなっているかを見る。ブクブクしている人は病症の経過が遅い、反応がスローで歯切れが悪い。「どうぞ立ってください」と言っても、なかなかドッコイショという感じになって立てない。
つぎに、頭部第二を見て、そこが弛んでいれば、お腹に異常がある。第三が硬い時はみぞおちが硬い。第五が硬い時は眠りが悪い、呼吸器の働きも悪い。
つぎに第五に愉気をする。愉気が感応してくると段々前屈してくる。そうなったら操法に入ってもいい時機である。ここまでが一連の型です。
愉気をしていると、相手は重心のある方に傾いていきます。
第五が飛び出している人がいたら、それを下から上にそーっと持ち上げる、そしてまた愉気をする。第四だったらこう押さえる。ここに異常があると、体が小さく縮んでいく感じがある。みぞおちで強く呼吸しているときは第三、お腹の両側が硬かったら第二、というように愉気する処を大体まとめて、その変化を見ておく。

操法を始めるときに、頸の横突起を押さえる。それから愉気をする。愉気が感応し始めたら、「はい、うつ伏せになって下さい」と言って、背骨を調べるが、背骨に触れる前にそこにすーっと気を通してみる。慣れてくると見るだけで同じように気が通せる。気というのは眼からやるのが一番強いのです。背骨をジーっと見ていると、硬くなっている処ですーっと気が感応する。異常のある処は、眼で見てもそこだけが濃く見える、というか手で感応するのと似たようなものがある。眼で見てそーっと触れていく感じ。触れるように見ると言ってもいい。
まあ、そんな風にして、背骨に触れる前の準備をする。それから触れる。
最初に触れてくるのは、相手のエネルギーの余っている処です、本当の異常はエネルギーが欠乏している方なんです。しかし、そういのは余り鮮明には触れてこない。
背骨は胸椎十二個、腰椎五個の計十七個の転位を調べます。仙椎は一つのものとして見て、腸骨のどちらが上がっているか下がっているかで見ていきます。上がっていても下がっていても異常です。そういう上下がなくても、腸骨が開いていたり、閉じていたりしていれば異常です。落ちているというのも異常。
それらを見終わったら、今度はもう一度体全体を見て、どこに力が抜けないで強張っているかを確認します。力が集まって抜けない処をまず見つける。
人間の体というのは面白いもので、右手が上がらないとしますと、必ず左の脚は短くなっています。そこでいきなり足を引っ張ると上がるようになる。腰を揺すぶって調整しても右手が上がるようになります。
腰の揺すぶりは前にも少しやりましたね。二番で揺すぶる時は左右にゆする、四番でゆするときは下に向けて揺する、そのとき始め大きく揺すりだんだん小さくしていく。逆に二番で揺すぶる時は。はじめ小さく、そしてだんだん大きく揺すぶっていく。この二つのやりかたを両方やって捻るようにしていくと三番に、一番と五番は上と下に揺すぶる。揺すぶっていくうちに、だんだん弛んでくる。弛みにくい腰椎をさらに揺すぶって弛めていく。これをやるだけでも操法の代用になるぐらいである。
この揺すぶりの操法は、腸骨を対象にやることが多いが、腰に対しても手や脚に対しても、頸に対しても、どこでも自由に揺すぶれるようになっておくといい。足の場合はその両親指をもって揺すぶる。この揺すぶりは、相手の経過の遅い早いを判断する際に役に立つ。

操法の手順(練習)
愉気が感応すると相手は弛んできて、体癖的な偏り運動を起こす。左へ行ったり、右へ行ったり、前に行ったり。弛んでくると頭が重くなり、いろんな方向に曲がり、人により違ってくる。その前に、頭が弛んでいる人は、それを引き締めなければならない。そして愉気をする。頭が弛んでパンパンに大きくなっている人がありますが、これは頭の中がくたびれている人です。脳溢血をやる前などに押さえると、こんなに大きく感じる。頭の中が緊張してしまって、何か疲れてしまっているような時は、みな大きく感じる。これは頭だけではなくて膝の関節も足首もそうなる。みな骨が拡がるのです。愉気をして感応するとスーッと小さくなる。小さくなったところから背骨の操法に入っていく。今日は、愉気をするとどうなるかというところからやっていきます。上手になればその愉気は省いて腰の揺すぶりから始めてもいい。もっと上手になればそれも省いて、背骨を直接調べるところから始めてもいい。しかし初心のうちは、まず愉気をし、感応するのを見て、その間に指の動きを見て、呼吸の起こりを見るという手順を踏む。愉気をしながら、どこの力が抜けるか、どこの力が抜けないかを見る。
まず、以上のことを練習して憶えてください。
それが出来た人は、うつ伏せになってもらって、背骨を調べていく。揺すぶってみて、揺する前と後の違いを確認する。揺する前の異常はここ、後の異常はここ、というふうに二つに分けて見ていく。つぎに、その前と後の間に変化がある場合は、経過の遅い早いを見ていく。それらを見ていくと、相手の偏りの調整方法が、比較的容易に組み立てられるようになる。

ではやってみましょう。礼をして、相手に坐ってもらい、頭に愉気をして、相手の体の力の抜けていくところ、つまり弛んでいくところをまず見つけて、弛んでもなお強張っている処を見つけてください。
そこが全部弛んだと思ったら、今度は背骨を揺すぶる。そして調べる。

頭の大きい小さいは、日ごろ見ていれば今日は大きい、今日は小さいというのがすぐにわかるが、相手が初めての人であっても、この観察に慣れてきたひとなら、愉気をするだけで判るようになる。実際にやってみると頭が急に大きくなったり、小さくなったりしていることが敏感に感じ取れるものである。

頭と体の関係について確かめることができましたか。頭との関係で、胸椎五番から上は、頭の系統、胸椎三番から七番までは呼吸器の系統、心臓も含みます。八番から十番までは胃袋、九番から腰椎三番の間は泌尿器の関係、それから下は生殖器の関係です。

頭のこわばっている処を見つけて、そこにスーッと息を吸いこんで見ていると、そういう処は息の通りが悪く感じられる。そこがスムーズに通らないで、閊(つか)えた感じがする。こういう閊えた処を見つけることが大事なのですが、このことが判るのは意外に難しい。だから野口先生は、一般の講習会では、こいう息の閊えについて説明する代わりに、ある一点を押さえて、相手の心をその一点に集注統一させ、気を誘導したうえで、弛め、どこが弛んでくるかを見る、というふうに説明為さっていたということです。しかし、実際には愉気をして、気の通りの悪い処、閊える処を見るということを為さっていたというわけです。

野口先生はこう仰いました。
「私が昔、一番初めに愉気ということを会得いたしました時に、頭に愉気をしたのです。こう挟んで愉気をした。愉気と言えばそれだけだったのです。悪い処に愉気をするということはやらなかった。そんなことは素人のやることだとして、卑しんでおりました。頭にだけ愉気すればいい。あとは動く指(掌心発現)をつかまえて、もう一回愉気するというだけで、愉気ということは終えておりました。私は長い間、後頭部に体を回復させる、体を動かしている中心がある、と確信しておりました。そこをトンと叩けば死んでしまうではないか。だからここが一番大事なのだ。この奥に何か体を治す場所がある、それに愉気をするのだ、と。これと同じような考えを田中守平という人がやっていて、彼は眉間の間にフロウニックスという場所がある、それに気を輸(おく)ればいい、と。その他、当時の人たちはみな、そういうようなことを考えて、後頭部に愉気をしていました。能力発現の誘導法とか、体の中の回復力を誘導するための急所としてここに愉気していました。最近になって、ストレス説といって外界の変動はみな体の変化を起こす、それはみな副腎の変化を起こす。脳下垂体の変動で、すぐに副腎に変化を起こして、副腎から分泌されたもので体のなかに変化していく、そして間脳にもどってくる。その時にその囲りが、頭の中で全体になんらか快感を感じていないときには反発されてしまう。副腎が働いていてもゼロになる。だからこの脳下垂体の調子および間脳の調子が、その健康状態、特に外界と自分との適応する問題を解決する唯一の場所だ、ということが最近判ってまいりました。私たちはその何十年も前から、ここに感応があれば大丈夫、感応しないのは治らないか死ぬ、と考えてやっていました。そういう感応しない人には、深みにはまって相手と心中すべからず、として手を引く。感応したならば突き詰めていく、というように、この一点で全部の勝負を決めるつもりでやっております。それだけに、今になっても、私は全部それに集注するということをやっております。だから死ぬか生きるかという人を私に操法させると判るのです。どこも押さないでまず頭を押さえる、死んでしまえばお腹に活を入れるけれども、そうでない人には頭に愉気をします。あるいは眉間に愉気をするということだけをやります。そうすると変わってきます。何かそういう生理・解剖の知識以外の、人間の知識以外のことでやっている時期があったのです。それが私には身についてしまって、おそらく私の言っていることにもやっていることにも、そういう意識以前の問題とか、意識以前の知覚だとか、知覚以前の知覚だとか、何か訳のわからないことが絶えず続いているのは、こういう為だと思うのです。今自分が生きるか死ぬかということになったらどうするかというと、愉気をしてもらいます。頭の弛緩した処から追いかけることをするでしょう。まあ、そのように、自分でもそれだけ確信を持って頼っている。しかし、生理解剖で判るようなことというのは、誰がやってもできる代わりに、特殊なものはないのです。突然な変化とか、非常に変わったということはないのです。胸椎の八番をこすれば寒気はとれるし、これは誰がやってもとれるのです。だけれども、感覚を鍛えた人達というのは、そういうことをやらなくとも、判らない変化があるのです。それが変化してきて整体操法の効果というか、整体操法の雰囲気というか、そういうものが出てきているので、その気でまず見る、息の閊えている処を見るなんておかしいです。説明しても通らないと思うのです。だけど実際やると判るのです。私はこう坐っていて、ここが悪い、ここが悪いと判るのは、息が閊えているからなのです。何か癪にさわってイライラしている人を見て御覧なさい。みんな、息がみぞおちから下に来ないのです。いきりたっている人などは無意識に肩に閊えるのです。結核だって癌だってみな閊えてしまったもので、息の閊えている処を見るということと、それから頭の示す処に従って、背骨の、自分の感じでここが閊えている、という処に愉気をすると通ってくるのです。通って、呼吸が深くなる。すると相手の気持ちも落ち着き、体もよくなるのです。だから私には愉気は非常に魅力があるのです。そしてやればもうそこで勝負を決めます。ただこの仕事で大勢やっていくには時間の制約がある。そういうので、ある特定の場合にだけやるようにし、いよいよという時にやるようにしていますが、まあ大抵の異常はそんなに頑張らなくてともみんな無くなってしまう。体は治るように出来ているのだから、ちょんちょんとつっつけば治ってしまうのです。そんなに手間をかけなくてもいいけれども、しかし技術を憶える為には、それをきちんとやって、そういう感覚を身につけておくということが必要だと思うのです。
私は長い間整体操法を教えて、教えた人がなかなか上手にならない。上手になったのは触手療法の出の人たちだけで、教えた人はうまくならない。なぜだろうと思っていましたが、一つには触手療法をやってきている人たちは、自分の体の異常を私が治している。つまり治された経験がある。さらに私に指導を受けている場合には、病気の経過を見て通っていく。積極的に治すというよりは、経過を観察するということが主となっていく。そういう病気に対する考え方が、いつの間にか出来ている。そこで押さえながら経過を見るということが割に、うまくなって整体操法そのものの効果があげられるようになっている。講習会で習った人は、知識として憶えた。だから自分が病気になると実に見事に慌てる。人を指導していた人までが、自分が病気になると本当にだらしがないのです。しかし、触手療法組は、だらしなかったのがきちんとして、それから憶えてくるから違うのですね。そこで、どうしてもこの講習会では、実際の効果というのを目標にする場合、実際の指導力というものを身につけようとする場合には、こういう理屈以前の問題を身につけてしまわなくてはいけないと思っています。」

さて、今日の練習課題はとても難しいし、面倒でもありますが、誰かを相手にして、息の通らない、閊えているところを見つける、閊えている処に愉気をすると、呼吸が急に楽に深くなる。丹田で呼吸していないときは、どこかで閊えている。そういうところはジーっと見ていれば判る。判らない時は手で冷たい処を見る。頭に愉気をすると眠くなってきて力が抜けてくる。そうなると、呼吸の閊えたところが鮮明になってくる。閊えが判ったら、体の筋肉が緊張しているとか、骨が曲がっているということも併せて見ておく。操法を受けたことがある人は判るとおもいますが、あっちこっちやっているうちに、ここだと思う処がある。そこを押さえられると呼吸が急に深く入るということを体験したことと思う。なによりも、その閊えた処を見つけるということが一番大事なので、型の問題に入る前に、実用的な問題としてしてやってみました。
揺すぶるときは、それによって弛めようとするのではなくて、心を統一していくつもりで。心を静かにしていくつもりで揺すぶっていくと、だんだん閊えている場所がはっきりしてきます。
後頭部に愉気をすると、異常が浮かび上がってきます。痛い処があれば、さらに痛みが増します。吐き気なども激しくなります。それは、異常を強調することになるからです。それは悪くなったのではなくて、異常感が高まってきたきたということです。だから、体に異常感が出てきたら、そのままそこに愉気してもいい。あるいは掌心発現が出たら、その処に愉気してもいい。そういう意味で、後頭部にへの愉気ということに興味を持って取り組んでいただきたい。それと同時に、相手の体が崩れてきた時から感応が起こったということを感じとり、感応が起こると呼吸の閊えている処が通ってくる、愉気をすると閊えが一、二か所になってしまうということにも興味を持って観察してください。今日はこれで終わります。